大宅映子さんとは1987年に私が「エイボン女性教育賞」をもらった時、授与式会場で初めて会った。初対面の彼女に向かって「あーら大宅さん、昌さんどーお?」とあたかも昔から親戚付き合いしていたかのごとくに聞いてしまった馴れ馴れしい私。「ああ、昌さんね、元気よ、あの人は」とあっさり答える。そのあと、司会者に、受賞の感想を聞かれて「この仕事のために子供たちを十分かまってやれずさみしい思いをさせてきたけど、今日の受賞でお母さんのしていることが世の中のためとわかってもらえたことがとてもうれしい」

 すると大宅さんが隣で、一語一語に「そうそう」と大きく頷いている。彼女の二人の子供さんもあのころはまだ小さかった。だから、家庭と仕事の両方を持つ母親の葛藤を私が代弁したので彼女もうれしかったのだと思う。その仕事もただの仕事ではなく、社会的責任があって代替がきかない、抜けられない、休めない、そんな大任。以来、年賀状を欠かさずくださる律儀な人。あの人はひょっとして今ころ、暇を見ては、全国からきた年賀状を再度、読み返しているのではなかろうか。なかなか出来ないこと、私も真似しよう。

 さて、イギリスはサッカー準々決勝敗退で、国を挙げてひっそり鎮まりこんでいる。翌、日曜晴天32度、と聞いて、娘の発案でブライトンビーチへ行くことに決まった。私の血気だけを受け継いだ娘は人の都合や意向などお構いなしにことを決める。あのビクトリアステーションから12時5分発の電車に乗るという。みなが家の中を走り回って、あれ持ったこれ持った?ランプ(車椅子を載せる金属の台)付きタクシーと普通のタクシー計2台電話で頼むが、1台しか来ない。ドライバーの言うには「昨日のあとだから誰も働かない。待っても無駄。「そんなバカな」結局ピペと私は地下鉄で行くことにして、駅で落ち合った。

 知らなかったけどサッカーがイギリスの国技なんだって。勝てば官軍とはよく言ったもので、負ければ監督が責められ退陣、ベッカムまで選手団長を辞めるという。ベッカム様、潔さでも男を上げるか。白地に赤十字の応援旗が今でも窓から外されないではためいている。無念旗ね。あの試合、土曜の日本時間夜中の12時に始まったからファンは寝ずに見てたんでしょ。夜明けの3時でもテレビ中継見るんだそうだから、12時なんて軽い軽い。

 ブライトンはすさまじかった。当たり前だけど人の山。英国版江ノ島海岸夏景色。私は人だかり恐怖症だから夏の江ノ島なんか行ったことがないのに、昨日は否も応もない。駅も電車も道もレストランも海岸も人でいっぱい。日陰を探して、浜に停泊中の大きなボートのかげに車椅子を入れて駐車。病人は涼しい海風に当たって、気持ちよさそうに、じきに寝入った。体が動かなくなっても人ごみに連れ出されて平気な人。車椅子の高さからしか見えない世界は不安だろうに、息子に押してもらってどこへでも行きたがる。泳ぎたかったのに水着が行方不明で海に入れない娘を尻目にリラとサンディが泳いでいる平和。

 あの海の日が家族で出かけた最後の遠出になった、なんて、のちのち今日を偲んで回想するのかも知れない。「ブライトンロック」という白黒映画も私のお薦め100選に入っている。若き日のリチャード・アッテンボローが主役。映画の話ばかりしていられたら、ね。

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