メードのピペがタイに帰ってしまってこの家はすっかりさみしくなった。もうイギリスへ戻っては来ないだろう。なぜって、帰国間際に彼女の妊娠が発覚したからだ。国を出たのが2月27日だったので、下衆なかんぐりで計算すると受胎後ちょうど6ヶ月、タイの旦那さん、効率よく計略しましたね。しかし、彼女も34歳なので、私たちは勿論このおめでたを祝福している。実は私が来る前にニュースが知らされて、それなら重いものを持ち上げさせてはダメよと言いつつ、その分子供たちにしわ寄せが行くことのほうを案じていた。

 バンコクで、ただの子守りさんで雇われていただけのピペが、縁あって、イギリスにまで来て、にわかに実力発揮。言葉も地理もわからず知人もいない国で、リラを幼稚園に送り迎えするだけでなく、カムデンという街にあるタイフードの店まで時折バスで買い出しに行ってはタイ食を私たちにもお相伴させてくれた。病人の介護をさせれば、朝食のブルーベリー入りオートミールを起きるとすぐにミキサーで作ることから始めて、シャワーに入れるときも二人の男がそのために来ているのだが、やり方が乱暴なので、息子はピペだけに任せて、ピペはパンツシャツを捲り上げて、自分も湯船に入って夫の体を流していた。

 最近就寝前に付けている小水の管も、最初にゴム製品を被せて抜けないように固定して突端を管につなぐ。その作業もピペは進んでやって、しかも子供たちより手際よかったそうだ。食事もスプーンを口に運んで食べさせてくれ、運ぶタイミングの良さは抜群でリズミカルだった。夫がウーと声を上げれば、何を言いたいかすぐに推察したのも彼女だった。よって、病人が一番信頼していた介護人は彼女だった。こんなメードに遭遇したのはワット家にとって不幸中の幸い、困難を共に背負ってくれた同士ピペのことは忘れまい。

 ピペは今ではワット家の一員になった。私の娘になった。いつか、すべてが終わったとき、みなでバンコクを訪ねて、ベビーを連れた彼女に会う瞬間を想像して、胸熱くしている。娘はお給料をまとめて払ってあげて、息子は分厚い「数独本」をプレゼントしたそうだ。今ころ、お腹をキックするベビーと一緒に枡埋めに挑戦しているとしたら、胎教で、数字に強いベビーが産まれること請け合い。人はいなくなってその存在の大きさを認識することが多い。ピペのいないこの空虚が彼女の存在が大きかったことを物語っている。

 ロスから来た妹は大のビール好き、昨日もショッピングに行って、1ダース入りのケースを買ってきて、夜、私が寝たあと息子とおおかた飲み干した様子。空き缶が証拠で残るので簡単にばれる。同じ姉妹でも10歳年上の私はワインを一杯飲めばたやすく酩酊、ビールは乾杯程度しか飲めない。アルコールに強い人が羨ましかったことはあったが、今はこれで丁度よかったと思っている。強かったら、私のこと、切りなく飲んで、今ころはアル中。

 夫の発案で、全員で、バスで、妹をテームス川まで連れて行くことになり、今、出動準備を始めている。ロンドン滞在最後の日、誰が彼女と市内観光に行くか迷っていたが、夫も行けるところへ全員で行くなら迷い解消。あいにく朝から曇り空、折りたたみ傘を三つ持ったが、今日しかないのだから、槍が降ろうが雨天決行に決まっているのです。

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