ジェームスの奥さんのメグが亡くなった。胃がんの手術をして5年目、再発して入退院を繰り返しながら持ちこたえていたが、ついに訃報が入った。ジェームスとはケンブリッジ以来の親友で、奥さんとも親しかったので、夫は知ればショックに違いない。どうやって告げるべきか、自然にわかるまで隠しておけばいいのではないか。日本人的発想しか浮かばない。子供たちは「隠せないよ」と言うが、告げるタイミングが掴めないでいた。

 そこへあのニック(ホスピスに入院中、ミルトンの「失楽園」を読み聞かせてくれた人)が来訪。まだ夫には知らせてないんだけどと相談すると、そのために来たのだから、と目配せしてくれる。「実は今日は悲しい知らせがある」と切り出して「メグが昨日の朝、死んだ。ジェームスに頼まれたので知らせに来た」と単刀直入に伝えた。案の定、声をあげ涙を流して泣き始めた。ニックはやさしく肩をなでながら、悲しいよね、と理解を示す。単に彼女に同情してか、それとも来たるべき自分の死を重ね合わせての涙か、わからない。

 しかし、死か時間の問題とわかっている病人に、知人の訃報をなんら抵抗なく伝えるこの文化は日本人の私には驚きだが、ここに国民性の根本的相違を見出した感がする。相手の衝撃を想像して‘かばう’文化は、ひょっとして文化と呼べないのかもしれない。相手の知る権利を尊重すれば当然知らせる義務がある、そして知らされた人はそれを受け止める強さを要求される。この有無を言わせない現実主義に欧米人は子供のときから鍛えられているのだ。思いやりと称してうやむやにする日本人の親切心など不可解なだけで気味が悪いだろう。

 今日、ナインイレブン。妹がロスアンジェルスから着くのをヒースローまで迎えに行った。この歴史的飛行機惨事の日に飛行機に乗るなんて。9月11日でもテロのヒースローでもこの国を訪れる人はわんさか後を絶たない。私が着いたときと同じく入管で時間を食って、1時間弱待たされ、私のイライラが始まった。人間の辛抱は45分が限界ではないか。だから、待つ身になって考えて、今度から息子に迎えに来てもらうのはやめにした。

 エアポートで認識を新たにしたのは、この国と日本との大きな違いは多人種王国という点で、アフリカ黒人系、インド系、中国系がどこにでも入り混じって生活していることだ。日本は99.9%が日本人なので風景に違和感がない。ところが、この国は見た目の違う人間がバラバラ点在していておおよそニートではなく、言葉は悪いが、汚らしくさえ見える。しかし、日本と同じ小さい島国なのに、昔から他民族受け入れに鷹揚。今日乗ったミニキャブの運転手はインド人で移民で来て15年目、妻と子供二人の所帯を持っている。

 妹はロスのアーヴァインで女一人ビジネスを興し30年になる。夫は元気なときに数回訪ねては泊めてもらっていたので、日本に住んでいる他の妹たちより親しみを感じていて、お互い会いたがっていた。それが実現したので、夫はうれしくてうれし涙を流して歓迎したが、たったの3日間の滞在と聞いてすっかり落胆、悲しい顔を隠さなかった。親しい人たちとの束の間の再会はうれしいが、必ず分かれなければならない定めを嘆いている。