27日夜8時前、すっかりやつれ果てた顔の夫と娘と孫のリラがエジンバラから帰還した。3人は復路、車はあきらめて汽車にした。到着時間を見計らって、キングスクロス駅まで迎えに出て驚かせてやろうと考えつつ、つい寝入ってしまって、結局は家で待機になった。顔を見た途端「無茶な旅行で寿命を縮めたのではないの、ただでも稀少価値なのに」と口まで出かけたが辛うじて制御。「寿命」などの言葉は禁句でしょう。息子は車を運転して、途中で一泊休憩、明日帰ることにしたという。よかった。

 私の口を突いて出た言葉は「You are too ambitious!」。クラーク博士の「Boys, be ambitious!」 は「少年よ、大志をいだけ!」と見事に翻訳されて伝統的名言になっているが、ambitionは「野心」の意味もあるので、こういうとき「大体に野心的過ぎるのよ」と、どちらかというと欲張り過ぎをたしなめるのに使われる。汽車では4時間の行程だが、車だと軽く10時間はかかるというのに、小さい車で荷物も積んで、特に車椅子では天井が頭のすぐ上、おまけにかなり寒かったらしい。

 すぐに朝から煮込んであったビーフカレーを食べ始める。娘も疲労困憊のはずなのに少しも小言も言わずに病人に食べさせて、自分もおいしいおいしいと好物のカレーを口に運ぶ。誰に似たのか自己主張の強い孫リラはこのカレーはキライと撥ね付けて、代わりに日本から持ってきた鳥ごぼう振り掛けごはんを食べる。かくして、私の出番初日が始まった。

 11月1日が来ると忘れもしないパリでの家族集合、そして、夫の病気疑惑の始まりの日から丸1年が経ったことになる。あのとき、夫は既に歩行困難が始まっていたので、トイレが間に合わなかったらしく、風呂場でズボンを丸洗いして乾かそうとしていた。それを見て、こんなもの乾かないのになんで洗ったりするのよ、と吠えていた私。1年があっという間に過ぎていく。みんなこんなことをしていていいのだろうか、最近はふと考える。いいも悪いも、ここまで来れば終いまでみなで走り切るしかないだろう。

 28日。終日介護人が来る。私のいない間に、日本で言えば「介護5」の認定を受けて、日曜以外の毎日、朝10時から夕方6時まで、介護人が交替で来てくれることになっていた。土曜日はジンバブエ人の女性、イギリスに移民して4年、6歳になる息子がいる。当たり前だが、ジンバブ(以下エを省略)にはジンバブ語があるのだという。アフリカの国がみな自国語を持っているのだから、世界の言語は無数だ。エスペラントはどこへ行ったの。

 一日中、他人が家の中にいて、大してすることもないと、みながそれだけで疲れてしまう。案じていたが、産むが易し。やはり誰かがいれば、私も昼日中に寝たりできることがわかって喜んでいる。彼女、ランチに中国製えび味インスタントラーメンを持参してチンすると言うので、鍋で煮たほうがおいしいよ、とネギまで切って入れて、また余計な世話を焼いてしまった。「いつかジャパンに行きたい、あなたは私の国に来てね」と初対面からフレンドリー。(日本に来られるのは面倒くさい、けど)ジンバブ?喜んで行くわ。どこの国の人でも、顔の色や言語は違っても‘ハート’という共通語が通じるのがうれしい。

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