最も親愛なる私のファミリーへ
「私は今、非常に近い将来、専門家の手を借りて、どこでも、それが許される病院で、私の命を終える要望と法的許可をあなたたち3人に与えるためにこれを書いている」
「これが無理な頼みだということは重々承知している。しかし、気がついていると思うが、私の体は日増しに脆弱してきている。痛みと抑鬱はもう限界で、とても耐えられないのだ。どうかどうか、私が命を終わらせたいと願うのは、あなたたち3人が今までに何かしたせいだとか、しなかったせいだとか、あるいは私のために献身的に尽くしてくれた努力が全部無意味だったのではないか、などと思わないでほしい。
全く正反対で――発病以来今日までの日々、あなたたち3人の愛情のこもったケアはかけがえのない幸せな時間を私に与えてくれた。
そして、今、自分の人生を押しなべて思うに、あなたたちのおかげで非常に幸せな人生だったと心底、確信している。このことをあなたたちは十分知っているはずだ。
しかし、今、それを閉じるときが到来したのだ」
(Andrew MacLean Watt)
夫は昨日このメールを私と子供たちに書き送ってきた。居間の中、3メートルも離れていない距離に4人が全員並んでノートパソコンを使っているが、その3台の機械に同時に入ってきた死の嘆願書。実は私が日本にいるときにも似た内容のメールは着いていたのだが、返事は子供たちに任せて、私は傍観者を決めていた。しかし今回だけは当人が訴える通り、苦痛が生半可ではないので、真剣に理解を示すべきと思い始めている。子供たちを説得しなければならないのだが、あの二人は私の説得など聞く雰囲気ではない。
イギリスは10月最後の日曜日、夜中の12時にウインタータイムに変わった。時計の針を1時間遅くする。月曜日、夫はいつものホスピスへ木曜まで入れてもらえることになったので短期入院する。その間、娘はジュネーブへ飛んで、国連本部の人事に掛け合って、仕事をヨーロッパの国へ移してもらえないか、相談に行く。既にタイで申請した6ヶ月の公式休みは終わりになっている。もし、この近国で仕事をもらえれば、職場復帰しても父親の近くにおれる。ただ、国連はそう簡単に職場を変えてくれたりはしない。事情がなんであれ。娘はこれまでにも二度、同じように本部へ足を運んでいるのだから。
私もこの後12月にこちらへ再度戻るチケットをANAに予約したが、雲行きが怪しくなって、そんな悠長を言っていられないみたい。夫は全く笑わなくなった。そして、掴まって立ち上がる力も失せた。スコットランドへの長旅を達成したと同じ人とは思えないほど衰弱している。普通の映画などに全く興味を示さず、見るとしたら「ジョニイ・キャッシュのイエスキリスト物語」のみ、見ながら一人で肩をゆすって泣いている。
やはり死を見つめる人は一般人が見たり読んだりするものには関心なく、ひたすら死と来世を語るものに我を埋没させるしかないのだ。夫の神聖で孤独な魂の旅はもう一歩踏み出していて、現世の私たちのケアなど、うるさいだけなのかも知れない。