夫は予定通り月曜にホスピスへショートステイに入った。ランチ時間に間に合うように私もホスピスへ向かう。2月に息子が盲腸をしたとき、私一人では面倒見切れなくて、入れてもらった所。知った顔もあるのと前日に今回は個室ではなく四人部屋になると言われていたのが急遽OKになって、病人はうれしい顔をしていた。ところがそれは最初だけで、苦しいのかダダをこねてばかり、私はテレビルームへ避難して長椅子でうたた寝してしまった。目覚めて戻ると「コンナトコロハモウイヤダ」とトーキングマシンに書いてある。

 息子はアメリカから来てくれたガールフレンドのマイコチャンを案内して出かけ、娘はスイスへ行って、引き算すれば私しかいない。時差(今朝もしつこく1時半起き)と風邪で熱っぽくて体がだるい。にもかかわらず、正午過ぎから夜9時までホスピスに詰めていた。ナースは心配ないから帰ってもいいと云うが、車椅子に座ったまま、じっと動かず、話相手もいない病人を一人残して帰れない。前回の入院時には終日ミュージックを流し、パソコンをいじって、ナースと楽しそうに会話していた人が、今変わり果てた姿を晒している。

 「もうニ度とここへは入院させない」「緊急でない限り最後まで自宅で面倒をみる」これが今回入院翌日に得た結論だ。息子も私も口に出しては云わないが、共通の思いは隠せない。訪問ナースの「月に4日くらい入院させて家族が息抜きすることもできる」という親切な提言で実現したホスピス入り、しかし、当人がこんなに嫌がることはもうできない。前は快適に見えたこの場所も、病状が悪化すると少しのケアでは間に合わないので、扱いが粗雑に感じてしまう。ここは18床(4人部屋が二つであとは個室)あって、日勤ナースが5人いるだけ。それも患者のほとんどが末期の重病人、面倒で手がかかる人ばかり。

 イギリスに冬一番が吹き荒れたのか、道は枯葉で埋まっている。この国ではいつ誰が落ち葉掃きをするのだろう、少なくても住人がする気配はない。手のひらより大きい楓の葉っぱが、さっさか歩く足に絡まって、がさがさごそごそ音を立てる。わびさびしい冬の始まり、朝夕外へ出た途端、ぶるっと震えるくらいに寒くなった。

「枯葉散る夕暮れは・・・・」五輪真弓の「恋人よ」を歌い出す。あの人のコンサートを一人で聴きに行った。自分の顔をツタンカーメンなんて揶揄していたが、誰もが陶酔する愛の歌をあんな声で歌ってくれる人の顔なんかどうでもいい、と言ってあげたい。

 今日もこれから病人に会いに行くのだが、怖いもの見たさの気分だ。駄々こねるとつい叱りつけたくなる。私はがまん出来ない人。昨日ちょこっと見舞いに来てくれた人が帰り際に「彼は人生終わりにしたい」と云っているが・・・と私の顔を見る。「『なら明日終わりにする?』と聞けばおそらく『イエス』とは答えないでしょう」と云ったら、黙って帰って行った。苦痛なのか気が狂ったのか、繰り返し大声を上げている男の入院患者が一人、ナースたちは、また始まったと苦笑しているが、明日はわが身の人がここに一人いる。
 今度来るときは五輪真弓のCDを持ってこよう。今回は夏川りみの「涙そうそう」を買ってきた。「花」も入っていて、作曲した嘉納昌吉も大好きだが、夏川アレンジもいける。