土曜日、折りからの土砂降りの中、我が家大人4人でEVITAのマチネーに行ってきた。シアターまでタクシーで往復。毎度のことだが、運転手が面倒くさいランプ(車椅子用の短い橋)の出し入れを少しも厭わないので感心させられる。私は気兼ねで胸が痛くなっているというのに。ロビーは群衆でいっぱい、場内係りに、最初に中へ入れるのでドアのきわまで直進するようにと言われた。どいてくれー、どいて、どけ、と車椅子の通り道を開けてもらって侵攻した。やはりこんな時は、ただで年を取っていない私のドスをきかす。

 EVITAはアルゼンチンのペロン大統領夫人に納まったエバ・ペロンのシンデレラストーリー。マドンナが主演で映画にもなっている。映画では貧しい国民に施しをする慈愛深い女の印象を受けたが、ここではかなりの野心家だったことが強調されていた。1919年に貧しい家庭に生まれて、富と名声を求めて首都ブエノスアイレスに憧れ、15歳でタンゴ歌手をそそのかして連れて行ってもらい、そこからは男から男へ、そしてペロンとの出会い、お互い一目ぼれ、寝室にいた16歳の愛人を追い出して、その日から居座ってしまった。

 軍部は彼女の追い出しをペロンに迫るが、彼はいつもエバを擁護する。ファーストレディとしてヨーロッパ諸国歴訪するも、英国だけは歓待を控えて、バッキンガム宮殿に迎え入れなかったので、この国を生涯恨んでいた。もと娼婦からのし上がった女はそれなりの待遇しか受けなかったのが余ほど悔しかったものだろう。そして遂に副大統領になりたいと夫に迫るが、その間になんと乳がんが彼女の体を蝕んで、野心もそれまで止まり、1952年、33歳の若さで波乱に富んだ一生の幕が降りる。

 主題歌「Don’t Cry for me Argentina」の哀愁に満ちたメロディが始まると場内は一斉に息を飲んで完全陶酔の世界。メロディに酔って、心が溶けてしまって、人生の煩わしさなんか何も考えていないこの瞬間、どうか過ぎて行かないで。「キャッツ」「オペラ座の怪人」などの名曲で有名なあのアンドリュー・ロイド・ウエーバーのヒット作の一つ。(この人ホモ、でも許す)憎らしいほど流れのいい曲を次々と世に出して、この人の頭の構造はどうなっているのだろう。我が家の病人が感激の余り、声を大に泣き出してしまってちょっと困った。エビータの生涯を見ると、人はどこで誰から生まれるかより、何を隠し持って生まれるか、だと思ってしまう。隠し持ったものに突き動かされて人は人生を生きる。

 千恵さんのご主人の発病を2006年初頭と書いたが正しくなかった。05年7月前に歩行と話すのに自覚症状があり、7月にALS診断を受けた。夫は同年7月から転び始めて、11月には杖なくしては歩けなくなっているので、診断は遅れたが発病はほぼ同時期と言える。最後まで2階の寝室で寝て、歩いてお手洗いに行ったそうなので、その点、介護は肉体的に少し楽だったか。でも千恵さん一人で、1年半片時も手を抜くことなく面倒見てこられたのだから、それはもう過酷な日々としか言えません。よくやりました、頭が下がりますよ。メールで数回やり取りをしただけだが、互いの病状報告を交わしてきて親しみを感じている。日本でぜひ一度会いましょうね、と言ったものの、本当にそんな日が来るだろうか。