こんなに長い駐在だったのだから、英語学校へでも通えばよかった、なんて帰国の日が近づいてから悔やんでいる。その昔、始めてこの国に来たとき、外国人向けのランゲージスクールへ通ったことを思い出す。午前半日は日興證券へアルバイトに行って、午後の半日は英語学校へ通った。若かったからすぐに慣れて何も怖いと思わなかったのに、今は年のせいか、いつまで経っても外国にいる緊張感が取れない。でも地下鉄、バス、鉄道には行き先さえ決まっていればどうにか乗れるようになった。

 昨日、ピカデリーの三越で美代子さんと待ち合わせしていたら、なんと店員に韓国語で話しかけられて、にわかにうれしくなって「アニョハセヨ、カムサムニダ・・・」。たった二つしか知らないのに一度に使い切ってしまって、あわててアタシジャパニーズヨ、と告白。聞けば、韓国ツアーグループが店内になだれ込んだ直後だったとか。韓国からロンドンまで来て、何で日本のデパートへ入るのか、きっとロンドンにロッテデパートがないからだ。せっかく海外まで旅行に来て、人はなぜ買い物なんかに時間を使うんでしょうね。

 先日子供が二人でちょっと出かけたとき、夫に「いつまでも子供たちをこんなふうに縛り付けておくのは二人の将来のためによくないでしょ」あんたは一体何を考えているんですか・・・という口調で叱責してやった。すると指文字で「だからスイスへ連れて行って(殺してくれ)と頼んでいるのに誰もきいてくれない」と書く。「すぐにスイススイス、といいますが、それは卑怯よ、ずるいわよ」と言いかけたのに「卑怯」も「ずるい」も単語がわからない。なんていうんでしょうね。それで代わりに「死ぬのは簡単よ」と言ってしまった。

 大体自分の持ち物(ヤマと積まれたコレクション、いくつもの書棚の無数の本)を何とか生きているうちに処分してくれないと、子供たちがここを引き払うときにどうするのか、ほかへ移るにも相当の広さが必要、高い家賃を払うことになる。倉庫を借りるにしても、これだけのものをいつまで預けるか、またばかにならないお金がかかる。考えるのが面倒なので「捨ててくれ」なんて言うが、簡単に捨てられれば問題はない。この場に及んでの彼のこういうある種の甘え、潔さのないところが心底、嫌いだ。ほとんど憎んでいる。

 私は37歳でがんをして以来いつ死んでもいい生き方を通している。なかなか死なないので、当初よりたんすの引き出しが雑然としているが、家には必要最低限の物しか置かない。写真もためないようにしている。整理できないものは捨てる。始めからなかったと思えばいいのだから。物に固執しない。それに引き換え、この人はもうすぐ死ぬといわれてもまだ紙一枚捨てていない。周囲は貴重なコレクションとか言うが、本人か、同趣味の収集家にとって貴重なのであって、関心のない人にはただのお荷物、洪水でも起きてくれ。

 日本の、物一つ置かない6畳の畳部屋こそ、真の贅沢、魂の空間。ごちゃごちゃ物など置くんじゃない。私はこれからの日々を今まで以上に魂を研ぎ澄まして生きたいと願う。留守中に開き始めたシンピジュームとキティ、ジロー2匹の猫どもが私を待っている。後1週間、帰りに丸正で好物のナマリとゆでたてチリメンジャコを買って帰るからね。