何時に寝ても何故か早朝1時にきっぱり目が覚める。ベッドが足りないので、私が起きたベッドに息子がハイタッチでもぐりこみ、行き場を失った私の孤独な一日が始まる。孫が学校へ行く時間まで今からまだ7時間半もある。この間まじめに起きているべきか、また眠りなおすべきか、こいつが問題だ。東京のマンションの隣室に王さんという台湾人女性が住んでいて、飲み屋をしているので、朝がた私が起きるころ帰ってきて寝る音がする。王さんがイギリスに来れば、すんなり健全な時間に寝起きすることになるのに。

 6月29・30日にパシフィコ横浜で開催された第15回乳癌学会には5000人を超す参加があった。すごい数、それだけ乳がん最新医療情報に対する関心の強さを物語っているといえる。まあ、年に一度の公認祝賀祭のような一面もあるのだが、それはそれで微笑ましい。日頃むずかしい患者さま相手に言いたいこと半分も言えず我慢している先生がたには、こんな息抜きの場が必要だ。画期的だったのは学会長の池田先生の特別のご理解で、今年始めて5つの患者会にブースが与えられて、会場の一隅に堂々と参加できたことだった。

 私は二日目に出かけた。最近とみに出不精になって、知った先生がたにお会いするのに自信喪失感があったのだが、人に会いたくないのはボケ兆候の一つ、とテレビで言っていたので、あえて出かけることにした。するとどうだろう、懐かしいドクターが次々とブースの前を通っていかれる。思わず「○○センセイ!」と呼び止める私。「オー、ワットサン」と近づいてきて握手をしてくださる。胸が痛いほど熱くなる。乳がん医はみな私の恋人。

 ニューヨークのロイ芦刈先生、阪神から小山先生、次回の学会長、稲治先生、高塚先生、弥生先生、小西先生、宮内先生、相原先生、田中先生、熊本の西村先生、坂口先生、岩瀬先生、福島医大の阿部力哉先生、札幌の浅石先生、山崎先生、愛知の岩田先生、そして中村清吾先生、渡辺亨先生、埼玉の小島先生、東北大の大内教授、女医陣・遠藤登紀子先生、田中真紀先生、形成の岩平先生、学会長の池田先生もお立ち寄り、学会準備に一年燃えた大和市民病院の首藤先生、順天堂に行かれた元癌研の霞先生、現癌研の岩瀬先生などなど。

 ナース玉橋、癌研の乳がん専門ナース武井さん、そこへ製薬関係各社、マスコミ関係、とにかく千客万来。手伝いに来ていた神奈川支部の会員が「会長さん、すごい、先生がたの方から寄ってこられるんだから」とたいそう興奮していた。私は磁石なのよ。30年間培ってきた先生がたとの素晴らしい師弟関係(大かたの先生より私のほうが年上、えっ、すると、私が師?)とにかく来年は私も学会に入会しようと考えている。そして、日本の乳がん関係医療者にものをいうことに決めた。とんでもない人が患者代表面で、わかってもいないのにわかったように喋っているらしいから、ここは私の出番でしょう。

 夫の発病さえなければ、厚生省の検討委員会にも唯一の患者会代表として参加できて格好よかったのに。他にもあれこれお呼びがかかっても介護優先と決めているので、殆ど行けない。いくらでも行けたときにはこの手のお呼びはかからず、ひたすら縁の下の力持ちで働き続けて、今やっと陽の目を見るときがきたというのに、ままならない。人生の皮肉。