7月4日、アメリカ独立記念日の午後4時、テロ厳戒下の(と身構えていた)ヒースロー空港へ降り立った。ターミナル4で不審物が見つかって閉鎖され、55もの便がキャンセルになったニュースを日本で聞いていたので、ひょっとするとターミナル3に着くANA機も別空港へ回されるかもしれない、と気が気でなかった。迎えに来ている息子にどう連絡したらいいか、ケータイ持ってない、などといつものごとく先走りして過剰反応。ところが、見事に肩透かしを食った感、銃を持った警備員らしい姿は目に入らない。
この国はテロ慣れしていて、不審物が見つかったり空港ビルに爆弾車が突入炎上したくらいではもはや驚かないのだろうか。それにしてもあの直後にオーストラリアに潜伏していた一味の一人を逮捕したのは快挙。そもそもピカデリー辺で見つかった爆発寸前の車、どうやって発見したのか、どんな垂れ込みがあったのか、ここが知りたい。でも足元のグラスゴー空港では予知できなかった。今やテロ組織はブッシュ政権のアメリカではなく、ブッシュと仲良しのブレアが退陣したイギリスを主要ターゲット国にしている。なぜ?
孫のリラは日本からの30キロスーツケースから何が出てくるか、スーツケースのまん前に座りこんで中身を見つめている。するめ、めざし、しんこう、うどん・・・ここまでは尻取りで来て、にんべんつゆの素があって、いくら、めんたい、海苔、インスタント味噌汁、ラーメン、ふりかけ、おせんべい数種、など9割がたが食料品。ANAのラウンジから隠して持ってきた稲荷寿司(一個ずつラップに包んである)をほおばっている留守家族を見ると、つい哀れを感じてしまう。明日からはせっせとおいしいものを作るぞよ。
夫は顔を見る限り、6週間前と変わらない。が、同じ姿勢で1年半車椅子に座っていて、遂にお尻の一個所が赤くなって痛いので、昼間も3時間くらいベッドで横になるようにしている。そうしても、肩や腕が激痛なので、体を横にはできないから、いつも上を向いた同じ体位。よってこの解決法もいつまで持つか。指は全く動かせなくて、何を言いたいのか、いよいよ読めなくなった。アルファベット文字盤を見せても全く協力的ではない。どうでもいいみたい。顔を見ても、この人誰?と思う一瞬がある。遠い人になっていく。
日本の不真面目な梅雨はどうなったか、こちらも梅雨に似た冷たい雨が日に数回降っては晴れ間が出たり、気温も日本よりは低いのでカーディガンが離せない。ここで、みなさん、言い忘れていましたが、一人で喜び勇んでいたあのウイーン会議がキャンセルになってしまいました。理由は集まりが悪かったから。ウイーンでしょ?と叫んでみても、ヨーロッパ人ならいつでも行けるのだから、興奮していたのは私だけだったのかもしれない。私は年間通しで飛行計画を建てているので、一つの狂いが全部を狂わして、影響大なのよ。
でも不可抗力に腹を立ててみても始まらない、ここは寛容な私、気を入れ替えて微笑んでいこう。日本の6週間は毎度のことながら超多忙だった。ニュースレターNo.115作り、秋の大会中身煮詰め、韓国国際会議スピーカーとしての必要書類を送り、ファイザー社で河野範男先生の骨転移勉強会、横浜パシフィコ乳癌学会にも顔を出して、どうでもいいと放ってあったプランターも一部植え替えて、猫のえさも買い置いて、機上の人になった。