イギリスの太陽は夕方昇る、といっても信じてもらえないが、一日中曇ったり降ったりしたあと、夕方6時になって突如、陽が照り始めることは珍しくない。そして、これが夜の9時を過ぎても、かんから明るい白夜に通じる。こういう気候に一生住む人類と、日本のように朝昼晩はっきり、春夏秋冬はっきりしている国に一生住む人類とでは、おのずと違いが出るのではなかろうか。ではどんな違いか。
「ロンドン便り⑮」を読んで、香川の会員からメールが届いた。「神奈川支部の会員さんが言われたように、『会長さん、すごい』の一言です。いくら多くの乳がん患者会があっても、一番患者さんのことを考えているのは、「ワット会長」と「あけぼの会」だと、自信をもって言えます」
天にも昇るうれしいコメント。そう、私はいつも患者の心の中にいた。今もいる。そうして、みなの悲しみ、みなの怒り、みなの願い、みなの悔しさ、を代わりに世の中に訴えてきた。堂々と恐れずに真実を伝えてきた。真実を伝えるのに何を恐れることがあろうか。これをわかってくれた人が四国に一人いた。欲張って憶測すれば、わかってくれている人が全国あちこちに少しずついることになる。そんな人たちの、聞こえないんだけど聞こえる声援に励まされて、私とあけぼの会の30年はあった。声援はやさしい愛。
日本全国の乳がん医も、マスコミも、製薬会社、スポンサー関係会社もそれをわかっていて、私たちを応援してくださっているのだ。私は言いたいことも言うが、相手の立場も忘れない、相手の言い分も尊重するよう、心がけている。だから、安心して近寄れる。今や患者会ブーム、雨後の竹の子のようにあちこちで顔を出している。私が長い間、患者会がなぜ必要なのか、その社会的意義を認めてください、なんて悲痛な叫びを繰り返してきたが、いつの間にか受け容れられて、立派に市民権を得ている。ありがたいことだ。
しかし、社会に認められてきたのなら、今度はその社会に恥ずかしくない行動をして見せなければならない。ここだ、ポイントは。認められて、有頂天になって、錯覚して、変に威張ってみたり、にわか被害者のように卑屈になってみせたり、主義主張もしっかり持たない集団が寄り固まって‘患者大集合’だなんて旗揚げしている。数で攻める戦法だ。日本人はこれが好きだから手が付けられない。有頂天になっているのはマスコミもそう。乗せたり乗せられたりして、みんなで不確かな達成感に酔っている。
ああ、言ったりかな。疲れがどっと出た。言い過ぎましたね、おだてられて有頂天になっているのは私でしたね。でも私は遠国イギリスにいるので、誰もここまで追ってはこないでしょう、そうだ、今のうち、もっと言え言え(援護射撃頼みます)。
今朝は3時に起きた。1時に起きるよりは進歩だが、それでも一日が果てしなく長い。昼間イスに座ればすぐにうとうと。5歳の孫のリラは学校が夏休みに入ったので、同じく休みに入った大学教師のパパと17日からインドへ行って一夏過ごす。ママとお別れでも少しも気にしていない様子で小さいスーツケースを引っ張る練習をしている。一人でも減ればそれだけ平和になるから、さっさと行ってくれ、と私は内心にんまりしている。