映画のストーリーの通り、ピースのハズバンドは空港から一歩も出ることなしにナイジェリアに送還されてしまった。憐れ、しかし、読みが甘かった。ナイジェリア人はテロリストトップリストの国の一つだという。事は先週金曜に起きて、昨日木曜に出勤してきたピースは穏やかな顔をしていた。夫は渡航目的を旅行といい、滞在先のホテルは確認されたが、滞在日数2週間、所持金400ポンド。この額では足りないので本国から追加送金あるか、月曜まで待って郵便局へ確認したが入金がなかったので即、夜の便で帰された。

 最後になってようやく電話をかけることが許されて、ピースと話をした。妻がすぐそこにいて待っているのに、そうと言えない複雑事情。妻は夫が送還されたことで自分の身に危険が及ばなかったとホッとしている。何だこりゃ。こんな事件はこの国では日常茶飯事で珍しくもないのだろう。現に取調室に11人、身動きが取れなかった男たちがいたという。夫のパスポートは本人に返されなくて、直接本国の機関に送られた。パスポートを返してもらえなければ、次いつ来られるか、わからない。ブラックリストに載ってしまった。

 この日曜日、筆舌では言い表せない腹痛に七転八倒した。ニックの家にランチによばれてムシャムシャ食べたまではよかった。飲み物はロゼ1パイ。なのに、帰り道から腹痛が始まり、立ち止まっては深呼吸、ようやく家に辿り着くとお手洗いへ直行、それからが苦悶悶絶。顔は冷や汗なのに、悪寒身震い。苦しみの余り、着ている物を全部剥ぎ取った。吐いたり、いろいろ。とにかく苦しかった。マイナーの食中毒と診断したが、同じものを食べた子供たちは平気だったから、私だけの問題。しかし、今までにない最悪の激痛苦痛。

 これまで何回もこんな‘トイレ苦闘’を経験している。腸が弱いのか、異物を受け付けない反骨本能が強いのか、いずれにしても翌朝、突然噴き出すような下血あり、仰天。ネットで調べてみたら、急性大腸炎とかに近い。翌日終日あまり動かず、寝たり起きたりしていたら夕方にはおかゆを食べようかという気になり、復調の兆し。私は回復力は強いのよ、と内心自慢していたが、実はまだ100%しゃきっとしない。よくよく思えば、日本イギリス往復は、8時間時差で、睡眠時間帯だけではない、消化時間帯も狂わせている。

 病人の部屋から大きな鼾が聞こえてくる。体が全く動かせない、言いたいことも言えない、食べる楽しみも飲む楽しみも出かける楽しみもない。これでは生きている意味がないと思うのが当然だろう。夫の弟の奥さんに会って、そんな話をしたら、自分がああいう状態になったとき、息子が私を安楽死させてくれなければ非常に怒る、と真顔で言った。他人は何でも言えるのだ。私たちは息子の考えをサポートして、というか、彼の決断が固くてそれに頼っていたほうが楽なので、病人安楽死の線は問題外と決めている。

 さて、今の私はこの次またイギリスへ来るのか、ピースの夫に比べれば贅沢な悩みだが、迷っている。腸異変が物語るように私の老体は悲鳴を上げている。乳がん月間の10月が待っている。しかし10月過ぎまで来ないとなると都合3ヶ月は来られないことになり、子供たちも限界なので、家族の一員としての責任感に苛まれる。お腹を押さえて苦慮している。