私は自分のブログのためにこんないいページを独占しているのだから、本当はもっと真面目にALSのことを書かなければいけないんではないの、と突然思った。「京都の夜のすし屋の話」なんてのをだらだら書いていては申し訳ない。あけぼの会の会員約10数人が私の連載を黙って読んでいるのは知っている。でも日本でALS患者を抱えた家族の一人くらいはこれを読んでくれているのではないだろうか。もしいたら、是非大変さを分かち合いましょう。病人の症状報告、看病の大変さ、ヘルパーたちとの軋轢、などを今後書きます。

 ALSという難病は実に難儀な病気で、当人に取ってはまさに生き地獄、苦痛の10分の1も代弁できない。他の難病も似たり寄ったりだろうが、当人も地獄なら、介護の家族も苦闘の日々。いくら難儀でも途中で放り投げるわけにはいかないからだ。本人が死を望んでも(そして家族もひそかに望んでも)、簡単に安楽死させてもらえない。「治療法はありません、死ぬのを待つだけです」「ではどのくらい待つのですか」それは専門医も答えられない。

 私は英国に来て、いろいろ愚痴を書き綴っているのだが、この家はまだ病人の部屋もリビングルームも広めで天井も高い。しかし、日本の家は普通そんなに広くないので車椅子を入れてベッドを入れて、そこへ人工呼吸器の酸素ボンベなんか入れていたら、キチキチなのではないか。窮屈は心まで縮めてしまう。私は時折、裏庭に出ては空を仰いでいる。すぐに出られる庭があるかないかでも違ってくる。自宅介護はたとえヘルパーが毎日来てくれたとしても、もし奥さんが一人でしていたら、体も神経も悲鳴を上げているはず。

 ここに井料瑠美さん(元劇団四季女優)の「産経新聞」のインタビュー記事がある。今年5月22日付け、「ゆうゆうLife」の欄。父親をALSで67歳でなくした。「ALSは筋力低下と筋肉萎縮を起こす神経性の疾患です。父は当時歩けたのですが、じゃべりにくくなり、呼吸困難が起こり、つばがたまるだけで苦しむほどでした。足から罹患したALSは数年生きられるのですが、父は上半身から罹患し、10ヶ月で、あっという間に病状が進行したのです」井料さんは41歳と若いのに、この疾患をよく分析理解しているので感心した。

 私は面倒くさくて人任せ、足からの発症は上半身からのより長生きすることも始めて知った。記事によれば、お父さんは発病から5ヶ月目に人工呼吸器を着けて、その5ヵ月後に亡くなった計算になる。家の病人は足からなので今で2年半持っている。しかし、ここに書かれた通りの症状で、つばとよだれを無限に出し、最近は突如、唸って怒って両足を突っ張って苦痛を訴える。何がどう苦しいのかわからない。突っ張りが続くと車椅子からずり落ちそうになるので、私一人の時にこれが始まると、とてもじゃないが恐ろしい。

 地元(宮崎)では当時この難病に理解が殆どなく、「振り返ってみれば、死と向きあわざるをえなかった私たち家族に必要だったのは『心の救済』でした」と井料さんは述懐する。宮崎でなくてもこんな病気は知っている人のほうが珍しいだろう。心の救済を人に求めても得るのは難しいのではないか。では自分で自分の心を救済するにはどうしたらよいのか。いつかきっとこんな日も終わる時が来る、と言い聞かせながら生きればいいのだろうか。