あけぼの会30周年行事は無事終わった。しかし、何という1年だっただろう。気が休まる時がなかった。体力も限界だった。札幌の舞台に立っている時も、熊本の新聞社を訪ねて九州大会の記事を書いてもらう時も、どうやって立ってどうやって歩いていたか、肩で息をして、体がよれよれの感じだった。この3年間のイギリス往復の付けが肝心こんなときに出て来たのだ。しかし、行事の延期は出来ない。とにもかくにも一つずつこなしていく。病気の夫より先にくたばってしまいそう。それならそれでいい、投げやりの気分だった。

 今すべてが終わって、イギリスに来て、今日で5日、朝も夜も導眠剤を飲んで、ただ眠りこけている。起きていても何もする気がしないので、ずる寝している。しもの話になるが、日本を火曜に出て、今日日曜まで便通がなかった。時差は眠りだけではなく、腸の作用にも大いに影響する。移動日には一晩完全に徹夜している計算になるから、そこで体内時計が狂ってしまう。食べ物もつわりのように偏って、今回は専らクロワッサンと日本そば。茹でたそばをカレー味(カレーの素で)+唐辛子+つゆの素で熱くして食べている。

 10月乳がん月間の毎週末はビッグイベントだった。第1週の5日は朝日新聞社主催のシンポジウムで司会役、目玉はアグネス・チャン。彼女はインテリで講演も慣れたもの、若いのにお行儀もよく感心した。ソーカガッカイというので先入観を持っていたが、杞憂に終わった。昨年から「朝日」は私に司会を任せている。第3週18日の神戸会場でも司会役と宮崎ますみチャンと30分間対談した。ますみチャンは自分の意志でホルモン剤を断ってスピリチュアルで治す、なんて雑誌などで言っているので、要注意。相手はがんなのにね。

 シンポジウムの司会役は、開会宣言して演者を紹介しておしまい、のあの司会ではなく、討論の進行役。テーマに沿って話の中身を考えて、ポイントを絞り、演者に均等に話すチャンスを振り分けて、場内の反応も見ながら、時に笑いを取り、みなをリラックス。最後をどう締めくくって時間内にきっちり終わらせるか、など時計を睨みながら全神経を使っての気配り。終わって控え室に戻ると息も出来ないくらい疲れている。私が重点を置くのは壇上と会場に一体感を持たせること。聴いている人も参加している気になる全員参加型。

 あけぼの会の大会では何十年も続けてきた私のお得意司会業だが、それを「朝日」のピンクリボンフェスティバルが起用してくれるようになったのは実は非常にうれしい。隠れた才能がやっと世間に正式に認められた証だから、口に出して自慢している。でも67歳でデビューは誰が考えても、ちと遅い。それも年2回のお呼び、ではね。

 第4週の26日は新潟であの音無美紀子さんと1時間の対談をした。彼女とは「朝日」で既に3回も対談していたので、お手の物と言えるのだが、今回は今までの2倍の時間だったので話題を増やさなければならない。夫君、村井国夫氏との共著「妻の乳房」(光文社)を全ページ読み返してあらすじを立てた(新幹線の中で)。彼女の最大の特徴は乳がんを芸能界で隠し通して、その結果、深刻な鬱になり、それを乗り越える苦労がドラマチックなことだ。20年も前の話だが、今でもがんの後に鬱になる人がいるので、体験談が役に立つ。