私の夫が3週間前に(2005・11・20)「ALS」の診断を受けました。「筋萎縮性側索硬化症」という、見るからに難しそうな病気、難病です。原因がわからないがゆえに、これといった治療法もなくて、遅かれ早かれ死に至るという不治の病、夫は死ぬのです。

 「脊髄、脳幹や大脳皮質の運動ニューロンのみが選択的に障害される病気を運動ニューロン病と総称しています。この中で最も多いのが筋萎縮性側索硬化症(ALS)です。有病率は10万人に5人程度で、難病に指定されています。女性よりやや男性に多く、中年以降に発症します。遺伝を示すことはほとんどありません。残念ながらまだ病気の正確な原因はわかっていませんが、予後を改善する薬も開発されています。」(Yahoo家庭の医学・ALS概説より)

 あんなに行動的で、結婚以来40年間、一度も入院したこともなく、風邪を引いても寝込んだことはなかった夫に突然、聞いたことも見たこともない病魔が襲いかかった。それも不治の病だというのです。これから何が起きるのだろうか。私は今、夫の心中を思いやる。 極く普通に生きてきた人がある日突然、「あなたは助かりません」という死の宣告を受ける。心の中を思いやる。憐れ。

 発覚してから、私は当然ながら落ち着かない。イライラして機嫌が悪い。胃が痛い(遂にガスター10を買ってしまった)。眠剤を飲んでいる。タイに住む娘に電話でそれを言うと、今、マミーが病気になったらどうするの、という。あんたは大丈夫、と聞くと「夜中に目を覚ますとそれから眠られない」という。彼女も苦闘している。不憫でならない。

 アメリカにいる息子だって、この瞬間、これから先のことを思いやっているに違いない。夫は今夏、息子を訪ねていって、二人で世界遺産のイエローストンまで足を伸ばして「英文毎日」に記事を書いた。この新聞は「世界遺産シリーズ」を連載していて、彼は毎回ではなかったが、あちこち指定地域を訪ねては写真と共に記事を書いていた。カメラもプロ級の腕前。ただし、今回は同行の息子もカメラを担当したらしく、紙上に息子の名前も掲載してもらって父親は大層喜んでいた。

 それが今、何もかもひとまとめに大きな暗い空洞の中へ飲み込まれてしまった。目の前に起きた一大事に、平和だった昨日までの日々は一瞬にしてかき消されてしまった。昨日まで私の人生に全くの無関係と思って気にも留めたことのなかった「難病」という二文字。不遜にも、難病なんて他人がなるもので我が家の誰かがなることは万に一つもないと決めていた。私のこの不遜に天罰が降りたのだ。

 私は意地っ張りで見栄っ張り、人の言うことを聞かない、わが道を行く、わが道しか行かない、そんな性格。しかし、今日からは改心して、神を畏れ敬い、手を合わせて祈りを捧げる人間にならなければ。他人様の親切にお縋りする謙虚な人間にならなければ。難病宣告で心身悲しんでいるのは私より夫なのだから、彼のためならば己の生き方など取るに足らない。それは娘も息子も考えていることでしょう。

 これまで世界地図の上で4点、ロンドン、東京、バンコク、サンフランシスコと、バラバラに点在して、ともすれば離れ離れになっていたワット家4人の心の絆、その絆を今日からは一つに固く結んで、何が起きるかわからない不安の日々に向かって、恐る恐るでも、一歩踏み出そうとしている。家族とは一大事のとき、結束するためにあった、それに気づいた一家族のALS物語の始まりです。

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