夫の発病を通して、私は人間の心の奥の奥を学びつつあります。先ず、死に至る病に限って言えば、自分が病人だったほうが楽で、家族がなるとどうしてよいか、心配心労が高じて、自分も病人になってしまうこと。当然、当人の心中は計り知れないのですが。ですから今になって、妻が乳がんになった夫の心の動揺をはじめて想像している。30年近く患者会のリーダーをしてきて、遅きに失したとはこのこと。
先日、入会申し込み用紙に添えて、ご主人の手紙があり「どうか私たち夫婦をよろしくおねがいします」と書かれてあった。そのときは「なになに、あけぼの会で夫婦の面倒見るの」なんて、かすかな冷笑をしていた私、なんという傲慢さだろう。あのご主人は今の私と同じく、誰かれ構わず助けを求める逼迫さだったのでしょう。
思えば、私自身37歳の若さで乳がんになったときは、自分が世界一不幸者だと思い、がんになったことがない夫に私の心中がわかるものかと突き放し、好きなだけ嘆き悲しんでいた。 何年か前のこと、彼に「あの時、私がもし死んでしまったら、子どもたちをどうしよう、と悩んだでしょ」と聞いてみたのでした。すると、子供たちより私のことだけが心配だった、と告白されてホロッとしたのですが、それ以上思いやることはせずに聞き流しておしまいにしていた。
夫の不運を恨むより、神様が私たち一家に試練を与えたもうたのだと、今は受け止めている。この体験を通して、私には、もっともっと人の心、傷ついた人の心をわかろうと努力する人になれ、という命令をくだされたと思う。
また、障害を持つ人に対する今までの私の無関心さにも、大袈裟に言えば、天罰がくだされた。白状するに、障害者に対して、表面的な同情の態度を見せても、彼らの障害に直接対応しなくてもいい自分をラッキーと思っていたのです。事務局の国府浜さんなど、目の不自由な人の手を取って、コンサート会場に連れて行ってあげたり、身障者を自宅から車で送迎したりするボランティアも買って出ています。私はそんなことは出来ないと決めていた。患者会のリーダーと言っても、私ってその程度だったのです。
でも、夫は既に障害者、今は家の中では押し車で歩いているそうですが、それが車椅子になって、しまいには一人では動けなくなる。そんな人のお世話が私にできるのでしょうか。これができて始めて私は一人前の人間になれる――とでも神様はいうのでしょうか。すると、今までの私って半人前でしかなかった、ということ?
今度はALSの患者会に入会しなければ。そしていろいろ教えていただく側に。インターネットも毎日覗いています。それで、わかったのですが、あけぼの会のホームページ、まだまだ不十分だった。
突然、乳がんと宣告された人と家族が見たとき、先ず、乳がんってどんな病気なんだろう、という初歩的な疑問に対する答えを期待している、と気付いたのです。それが、当方のホームページにはありません。そんなことはわかっている人が作っているからです。すぐに付け加えましょう。今まで全く縁のなかった病気に直面して、何を一番に知りたいか、わかったのです。