かくして今回のロンドン滞在もあと一日を残すだけとなった。先日ミヨコさんを訪ねたとき、
「あとあとになって、私がイギリスへ頻繁に来なくてもよくなったとき(夫が死ねば)、日本で、この駅の風景やあなたの家で一緒にランチを食べたことなんか懐かしく思い出すのよね、きっと」
と話した。
この年齢になると、未来を想像しているのに、何故か郷愁になる。
初冬の落ち葉通りを歩きながら、
ここは私の人生の一こまの絵、この時間も私の人生のいっとき、と思っても空想の世界にいるようで、現実の一部という実感が湧かない。

 昨日からピースもジェニースも帰国準備のために来なくなって、代わりが来る約束だったのに誰も来なかった。息子は、派遣オフイスがちゃんと手配してくれない、とぷんぷん怒っていた。私は誰も来ない平穏がありがたくてうれしかった。他人が四六時中、目の前にいることの鬱陶しさ。特にこの家では私の隠れる部屋がないのでいつもリビングにいなければならない。私は団体生活に慣れてないのよ。でもそれも今日でお終い。二人のヘルパーさんに気持ちばかりの餞別を上げた。ジェニースはスーツケースまで買ったのだから。

 帰ると翌朝には羽田空港へ向かって札幌行き。
何がうれしいかというと北国のご馳走。
地元の人が行く町の食堂でほっけの熱々焼きや男爵ジャガにバターをとろけさせて、などなどがウー、食べたい。
でも、いつも大勢になるとコース料理、またはご招待で超高級料理、庶民的なのが一番うまいのに。
ジャガと言えば、5,6年前にラベンダーを見に行った美瑛広野のジャガイモ畑の白を思い出す。
見渡す限り白。
人間、こせこせした生き方をするんじゃない、水平線のかなたから聞こえてきた声、なのに、なんというこせこせ人生。

 ここからは出発1時間前に書いている。気が落ち着かない。
今回のロンドン家政婦生活はきつかったので帰れるのがうれしいはずなのに、そこはその複雑で帰りたくない気持ちもある。
特に夕べ遅く外出から帰ってきた息子が寝ている私に「マミーは今回何も楽しいことなかったね」と独り言のように囁くのを聞いて、しんみりしちゃった。
恨みつらみを誰に言っても始まらない。
これが私の家族なんだから、私の居場所なんだから、そうなんだからここしかいる場所がないのだ。
12月やはり来ることになるんだろう、そんな予感。

 ジェニースは飛行機に乗ってからメールで「ありがとう、マミーにもよろしく」とメッセージ。ピースはここにいるときから封筒を開けてみて、半泣きで、サンキューを繰り返している。そんな金額ではないのだから大げさにしないで、と言いながら、私ももらい泣きしちゃった。なんとなく私たちの家族に一番近しい人はこの二人になったようだ。日替わりだけど、終日一緒にいれば、自然とそうなるのか、でも気が合わない人もいる。その点、私たちはラッキー。クリスマスのあとに再会することになる黒い皮膚の二人も家族。

 しかしイギリスは、漱石でなくても、遠い。日本でぼやいたら、国際結婚したときから覚悟してたんでしょ、と言った男がいた。結婚に国際も国内もないと思っていたけど、九州の人が北海道の人と結婚するのとはだいぶ違って、時差がある。これが苦手。病人はいつまで生きるのだろう。私がこの家を出るときまた大きな声で泣き始めるだろう。みんなさみしい。「またすぐ来るからね」とその場しのぎの慰めを言って、振り返らないで去る。