イギリス人の女友達で互いに会えばうれしい気持ちになる人が4人いる。その内の一人、シャーリーに先日会ってランチとお喋り。70を越えて私より年上だが、ここ数年、歩行がままならず、郊外の家から電車でロンドンに出てきたのは実に10年ぶり。快挙を褒めてあげて、自信つけたのだからまた来てねと念を押した。彼女はベーカーストリート駅で乗り換えるために地下鉄を降りたが、中から窓越しに私が最後まで彼女の後姿を追って微笑んでいたら、気配を察したのか、突如振り返り、顔面ほころばせて急いで手を振ってくれた。

 「電車が動き出すときに見たあなたのスマイルが今でも目に浮かびます。グッバーイ、と言ったのだけど聞こえなかったでしょう。でも少なくても手を振ることができてよかった」この人はメールをしない代わりに筆まめでいつもカードをくれる。文面を見て涙が出た。なんか、人間生きていてとても大事なことって、こんな小さい、うっかり見落としそうな一瞬に凝縮されているんじゃないか。彼女が気付かなくても私はそうしてたんだけど、気がついて自分もほほえみを返して、またそれを大事に思って、書いて伝えてくれる。

 アメリカ人のお金持ちと結婚した日本女性。全く対照的で、彼女の家に泊めてもらって帰り際、私が車に乗って振り返って手を振っても、車のドアが閉まった途端、さっさと歩いて家の中に入る。見えなくなるまで手を振るような未練がましいタイプではない、といえばそれまでだが、こんな切替えの早さは少しさみしくなる。この人はまた私があげたカードでも読めばさっさとゴミ箱に捨てる。私の目に入らないゴミ箱に捨てるならいざ知らず。人は会って別れてその余韻を少しの間、胸であっためて、また生き続けるものなのに。

 今日は気温12度、嘘みたい、太陽が照っている。青空に白い雲。やはらかに柳あおめる 北上の・・・、裏庭の柳の大木の葉も軟らかに青まってすがすがしく揺れている。つい啄木の一首が浮かび来て胸熱くしていると、足元に訪問者が一匹、薄茶色の猫。餌付けして毎日訪ねて来てもらおう、とあわてて冷蔵庫から夕べのチキンの残りを持って飛び出すとちょこんと待っていて、空腹だったらしく、満感の唸り声を上げながらムシャムシャ食べている。見ると片目がくり抜かれて無い。かわいそうに、まさか人間の仕業ではあるまい。

 夕方か、明日また何か食べに来たら、しめしめ、もう私の親友だ。今度は一茶の「我と来て遊べや・・・」の俳句。陽が照っているのに悲壮感しかない私の春の朝。こうなると猫でもいいから私を慕って来てほしい。特に今日木曜から土曜まではヘルパーがピースなので、この人と二人終日は気が重い。皮膚も黒いが性格も暗い。娘さえもこの人が苦手で何とか替わってもらえないか、今に交渉するらしい。特に妊娠4ヶ月目に入ってお腹も目立ってきているだけでなく、常時疲れ気味、ソファに座るやゴーゴー轟音を立てて眠る。

 最近、朝の定盤はナナ・ムスクーリ。ナナはギリシャ人。透き通る声でアベマリア、パワー・オブ・ラブ。28歳の時、一人でアテネへ行って、オリーブとフェタチーズ入りグリークサラダを食べて感激した私。ミヨコさんが話していたクリスマスに梯子から落ちた人、死んでしまったそうだ。62歳だった。夫より気の毒な人が世の中にいくらでもいるのだ。

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