7月10日(木)朝7時半に東京の自宅を出てタクシーで渋谷駅、8時9分の成田エクスプレスに乗り9時半に成田空港着、クロネコで前夜送り出したスーツケースを受け取って、ANAカウンターへ進軍。幸いプレミアエコノミーが空いていたので、そこへ格上げしてくれた。席幅が違うのと最前列だと空間がたっぷり、私の長足を存分に伸ばせる。今回は疲労困憊の極み、飛行機の中で一刻も早く眠りこけたい一心だったので、この待遇は神のご慈悲、ありがたかった。おまけに隣席の若いお兄ちゃんがかわいくて、夢見心地で寝入った。

 イギリスは私を歓待する快晴、青空に陽が照って緑がみずみずしい。お迎えのミニキャブの運転手がミセスワットの看板を持って立っていた。「わたしよ」と軽くあごでしゃくって荷物のカートを渡して持ってもらう。従僕を従えたリッチな貴婦人の気分、悪くない。ミニキャブは白タクなので、運賃はタクシーの半額くらいだが、事故に遭っても保証はない。貴婦人なんて喜んでる場合じゃないんではないの。彼はソマリア人だった。クッキーを一つ食べろとくれる。ほしくなかったが好意に応えて、もらってバッグの中に隠した。

 それにしても長い間のご無沙汰でございました。4月5月6月と3ヶ月、実に100日ぶり。何からどう書いたらいいのか、リズムを取り戻せない。そうだ、自然体だ、力むことはない。日本の3ヶ月は忙しかった。考える事やる事が山ほどあって、気持ちだけが先走り、思うように実績を挙げられない、そのもどかしさで余計疲れてしまった。それと、今ころになって四十肩の襲撃、私には関係ない、と決めてかかっていたのにどっこい、神様は公平。徐々に右肩、背中、腕が痛くなって、今も洋服も脱ぐときは悲鳴を上げている。

 肝心の病人はかなりやつれて、一日中首は垂れたまま、目の下はくぼみ、肩は以前より目だってやせ落ちて、感情も見せない。食事も口には入れるが、半分は押し出してしまう。私を見ると泣く。喜んで泣いているのか、悲しくて泣いているのか。彼の心中を想像はできても、本当にわかってやれないのが切ない。もうこれ以上、こんな状態で生きていてもしょうがない、と誰もが思っても殺すわけにはいかない。リビングルームの真ん中に終日車椅子に座って動かないさまは、一片の家具のよう。

 肩が痛くても掃除洗濯の始まり。タオルを30枚余り-事務局の下川さんが数枚ずつ持たせてくれた‘サンヨーの缶詰’タオル、数えてみたらその内22枚もあった、感謝してます-漂白して、見られる白にした。ヘルパーたちが「これを見ればお母さんが来たことがわかる」と言って笑っている。子供たちは漂白剤を毒だといって使わない。確かに毒だが、白いタオルを白くするには主義主張だけでは埒があかない。ついでに白のプラスティックまな板も毒で白くしてやった。熱湯をかければかすかに残留している毒は消えるだろうか。

 かくして私の1ヶ月滞英生活が始まった。家族という渦の中で渦の動きに逆らわないよう過ごせばいいのだ。痛みに耐えかねて、デパスを日に2錠のんで、ひたすら寝ている。治るのに最低6ヶ月はかかると脅されてきたが、しつこい痛みに押しつぶされそう。日本にいるときのように毎日事務所へ通わなくてもいい分、助かる。何事も考えようなのだ。

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