「イギリスへ帰って、コレクションの整理をしたい。そして、本を作る準備を始めたい」今何を一番したいか、という私の問いに、夫はこう答えた。「イギリスは今寒いから、あったかくなるまで待って帰りましょうよ」「私は寒いのは少しも困らない」(でも介護人が我慢できないのよ) イギリス人は暑さに弱いが、寒さにはめっぽう強い。私はただでも寒がり屋。全く自慢じゃないのですが、冬は毎日ホカロンを腰に貼って離したことがない。
でも、今は私が住みたい国が問題なのではなく、死期が迫っている夫がどこにいたいかが、最優先課題なのだ。彼は古い画集(絵入り雑誌)のコレクターで、2000年に新潮社からコレクションの抜粋を一冊の本にして出版してもらった。タイトルは「彼らが夢見た2000年」。 100年前に人々が予測した人間世界の様相が洋風漫画風刺タッチで描かれている。イラストレーションが実に痛快。100年後の今、その予測が面白いように当たっている。
2005年8月には「100年前の未来画展―あのころはすべてが夢だった―」というタイトルで小田急デパートで個展を開いてもらった。240点のイラストが展示され、なかなかの好評で、主催者は来年(06年)は日本各地で開催したい、といってくれていた。それも今ではかなわぬ夢となってしまった。
何を隠そう、35年の結婚生活の中で、私は彼の持ち物の多さにいつも辟易していた。こらえ性がない私は何でも捨ててしまう生き方。物はなければ見なくてすむ。一方、夫は反対で、何も捨てない。いつ陽の目を見るかわからないものでも後生大事にとっていて、イギリスから日本に来るとき持ってきたものを、帰るときはまたそっくり送り返したという人。そんな人だからあのような本を作ったり個展を開いたりできたのだ、と今は思うが、捨ててやりたいとひそかにねがったことは一度二度ではなかった。
今また、コレクションから抽出して第二の本を作る構想があるという。でも、肝心の体力と気力と時間は十分残っているのだろうか。第一、イギリスに帰れるのだろうか。12時間もの長時間フライトに耐えられるのだろうか。無論、これからの遠距離移動は息子と一緒でなければできない。その息子サンディ(33)は明日サンフランシスコを発って、翌日夜中にタイ到着の予定なので、父親は待ちきれなくている。この父子はよく気が合い、理解し合い、けんかなど一度もしたことがない仲良しだ。
常夏のタイランドで、メイドのピペと娘、息子、孫のリラ、私のファミリーチームで最高のケアができると思うのだが、それは私の望むことであって彼の望みではない。気候や食べ物やマンションの快適さより、しなければならないことをしたいという。だから、厳寒の只中であろうと、大急ぎで国へ連れ帰ってあげるのが正解なのだろう。
体が大きく「く」の字にゆがんできている。ベッドやイスから立ち上がるのも昨日今日は自力では難しく、私が後ろから抱きかかえて、1,2,3の掛け声でやっと持ち上げている。足もほんの少ししか上げられない。体が岩のように動かなくなってきている。だから、機内では席で用を足すようになるのではないか。すると3人掛け席で二人が両脇から隠すようにしないとまずい、などと想像する一方で今でも、この国で、この部屋で、家族みんなに見守られて安らかな最期を送ってほしいのに、と私の母性本能は願っている。
だが、誰が聞いても、本人の意思を何より尊重すべきというだろう。死にゆく人の最後の望みを絶ってはいけない、というだろう。私の思うようにはいかなくなる予感がしている。