2月19日、出発の朝、3時半。飛行機の中で眠ったほうがいいので、起きることにする。猫のジローがベッドに潜り込みたくて際まで来る、と察したデブシンが我先にとベッドに跳び登る。猫は何ごとも分かち合いたくないので、口惜しくても知らん振りしている。夕べ、荷物を宅急便で成田に送り出したりしたのを見て、動物の勘でまた置いてきぼりにされるとわかったか、みなが寄って来る。実はまだどのセーターを着ていくかで迷っている。赤のカシミア長袖アンサンブルにするか、でも、あれはよそゆきなので、介護に行くなら、洗濯機で洗える薄ピンクのにしたほうがいいか。引越しもあることだし。今回も重量は20キロを超えている予感、よって両方は持っていけない。

 18日、出る間際になって、歯の詰め物が外れた。加藤先生に電話を入れると、24日まで留守という留守電だけ。こんなときにどこへ行ったの。仕方がなくて、池尻大橋の駅ビル4階にある歯医者へ予約して行く。自分のところで入れた詰め物でないのにという顔をされたような気がしたので、帰国したら、こちらでじっくり治していただくつもりとか何とか言って、その場を凌いだ私は天才。歯詰めてある、パスポート入れた、電源抜いた、ガス消した、ストーブ消した、と声出し点検をして私は8時に家を出る。

 17日、この秒読みのさなか、ノバルティス社に頼まれてMRさん300人に講演をした。MRさん対象に話をするチャンスは滅多にないので、私のほうから望んでもしたかったのだ。あと5分で終わりというときになって、ふと夫のこともちょっとだけ、みなさんに聞いてもらおうという思いが湧いて出た。途端、声が詰まって、抑えがきかない。約3分間の中断。泣き声になってしまった。みっともない、こんな場面は想定外(もう古い)だった。思うに、病名がわかってから今までまだ一度も泣いていなかった。だから、ノバルティスさん、許してちょうだい。

 16日は「まさかの友は真の友」の友、高石さんのお招待で、笛木さん福澤さんと4人で夕食を共にした。いつものディナーメンバー。松坂屋近くの「いしかわ五右衛門」という勇ましい名前のお店。その名の通り、石川からの取れ立て魚がいただける。なんと全長1メートルはあるか、巨大越前たらば蟹を目の前で焼いてくれた。ひとくち口にほおばれば、美味たるや頭の芯まで登りつめ、思わず目くるめく。人はこんな瞬間死んでも悔いはない。

 高石さんは冬ソナの自家ダイジェスト版を今でも見ているという。この人の病もかなり重い。みなさんが「笑って」を読んでいて、感想を述べてくれる。「はじめ笑って、やがて涙なのよね」「どんどん書いて」「あれは本になる」などなど。私の若いときの話になって、傑作エピソードを次々話して、みなで大笑いした。涙出して腹を抱えて笑った。横隔膜が痛いくらい笑うなんて久しぶり。こうして、私を笑わせるのが魂胆だったか。ありがたい。

 夫がいよいよ電話口でひと言も喋らなくなった。娘が中継している。だから私が一日も早く現地に赴くのは正解なのだ。たらば蟹ですっかり酔ってしまった私たちは松坂屋から松屋の方向に向けて歩いて、地下鉄乗り場でしばしの別れを惜しんだ。何を隠そう、あの松屋デパートの前で42年前の4月、夫と私の運命の出会いがあったのだった。もったいぶりたい私は故意に秘めたままにした。

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