小雪舞うヒースロー空港に降り立って早や2週間が経った。この間私は何をしていたか、執筆活動は全面休止。なぜなら、今回買って持ってきたノートパソコンは息子に頼んで何かイギリスの電線に繋いでもらわないと使用開始できないものと決めて、ずっと時期を待っていた。私は機械音痴。それが「書くだけなら電線は関係ないのだ」という神のお告げで飛び起きた。今、朝の3時。生まれて始めて使うこのチンケな機械、恐る恐るふたを開いて、じっとにらみつけてスタートボタンを探し当てた私はもはや音痴ではない。説明書を全部持ってきたのだが、こんな超初心者用図解はどこにもない。いきなり「セットアップガイド」なんて、私には無理無用なのよ。

 それで今、肝心の夫はホスピスにいます。2月24日から「マリー・キューリー・ホスピス」というあのキューリー夫人の名前がついた、主にがんの末期患者のためのホスピスに入れてもらって手厚いケアを頂戴している。でも、ここが夫の終の棲家になるわけではなく、やむをえない事情で入れてもらった、あくまで一時的収監。収監といえば、あのホリエモンはどうなったか、日本のニュースに疎くなった。それより私のシンチャン、ジロー、キティはどうしているか、この次はなんとか一緒に連れてこれないかしら。

 「やむをえない事情」それはあのゴーリキ息子がなんと盲腸になってしまった。2月23日木曜日手術、土曜には退院。しかし、向こう6週間は重いものを持ち上げることは厳禁。残ったのは日本の老婆一人。とても無理なのと、今度は私がぶっ倒れることを恐れて、周囲が夫の行き先を見つけてくれた。追いやるのはかわいそうで、一晩だけ一人で面倒みたが、ベッドから持ち上げて車椅子に移す作業が難儀を極め、夜中ほとんど不眠状態の人に夜通し付き合って、私も遂に観念した。共倒れは誰のためにもならない。

 かわいそうな息子は二日二晩腹痛を訴え、うなるほど熱も出て、挙句に吐いて、今おもうにかなり深刻状態だったのだが、なんと言っても手が要る今、直ってもらわないと私が困るのよ。こんな個人的理由で病院へ行かせなかった鬼の母親。開けたときは後一日遅かったら、破裂して腹膜炎を起こすところだった、といわれました。夫より先に息子を殺すところだった。盲腸は結構痛いのでヒーヒー言っていたが、10日過ぎて今、ようやく普通に歩いてよく食べている。あちこち電話で交渉が多いので、それは無理なくこなしていたが、ここへ予定していた引越しが入ってきた。神様、酷すぎる。

 決行日は2月28日火曜日。盲腸患者は退院して3日しか経っていない。日本なら1週間は入院ではないの。時差ぼけの私は夜中1時半か2時には目が覚めるので、それから、一人で荷造り作業。あれをあっち、これをこっち、食器を新聞紙でくるんで箱詰め。疲れ果てて、引越し当日ついに声が出なくなった。しかし、この国の人は誰も同情してくれない。私以前に重篤患者が二人もいて、風邪か過労なんかでは病人の仲間に入れてもらえない。おまけに半パンはいて鼻歌うたってドアを開けっ放しで運送屋は動く。オーバーを着たまま、半日震えていた私に今からでも遅くない、あたたかい愛をおめぐみください。

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