冷たいロンドンの春3月弥生の空に、なんと桜の花が咲いている。花は小ぶりで、ちょっと見には梅の花と見まがうところだが、紛れもなく桜。小ぶりなのは、木が若いからと見る。花数が多くてかわいらしいので、つい立ち止まって見とれている。日本の開花宣言はどのあたりまで延びているのかしら。20日に帰国することに決めて、切符を予約した。いざニッポン!5月第2日曜日の母の日のあけぼの会恒例全国‘母の日キャンペーン’の準備が待っている。4,000人会員のみなさんに帰国報告のハガキも出さなければ。

 昨日3月16日、夫がついにホスピスからこの家に来た。車椅子で家の中を見て回り「ベリーグッド」と右の親指を立てて微笑んでいる。救急隊が運んでくれた。とにかく何から何までお世話になって本当にすみません。早速インターネット接続で何か書いている。すると突如の大泣き。何ごとなの。みながいっせいに駆け寄ると画面を指差していて、そこにキャシーという女性の名前で「Andy は先日呼吸困難で死にました」と書かれてある。

 Andyとは夫が入院してALSの診断を受けたとき、同じ病棟にいた同病の患者で山登りきちがいと私が先に紹介した男性。夫よりは10歳若くて、ずっと元気そうだったと聞いていたので誰も彼が先だとは思っていなかった。夫の唯一の同病メル友だった人。悲しみはいかばかりか、慰めようがなくて、全員黙祷の雰囲気のまま立ちすくんでいた。奥さんのキャシーは「あなたとの友情は短かったけど彼は喜んでいました」と書いてくれていた。

 報告が後先になったが、15日に娘と孫のリラがバンコックからガトウイック空港に着いた。成田に対する羽田みたいな空港。息子と朝5時半にタクシーでビクトリアステーションに向かい、それから空港行きのノンストップ電車に乗ると30分で着く。飛行機は予定より早く着いてしまって、二人はコーヒーショップで待っていたが、長旅の疲れも見せず元気そう。あのメイドのピペットのビザがおりてイギリスへこられることになったとのこと。バンコックライフの再開だ。これで私が心置きなく日本へ帰れることになった次第。

 家の中はいろいろなマシンであふれかえっていて、身障者用品エキスポ2006会場みたい。夜ベッドインさせるのに、夕べは始めての夜だったことと息子がまだ全力出せないので、私と娘が機械を使って寝かせる大役。9時を過ぎても少しも眠い顔を見せない病人の背中を眺めて、私はソファでうたた寝。時差で起きていられない娘はイスに座って眠気と奮闘。10時まで待ってようやくご就寝してくれるという。しかし、ベッドの向きや高さや防備柵のマットを外す、ずらす、枕の高低、ベッドのコントローラーの置き場所、尿瓶の置き場所、あれこれ調整するのに優に小一時間かかった。

 家族が再度全員揃って、第二部本番開始。でも私はもうこんな生活いやになった。だって12月から数えれば丸3ヶ月、全く自分の思うようにならないばかりか、プライバシー空間がない、自分の居場所がない生活、私は慣れていないのよ。こんな精神環境は100日が限界か。でも日本に帰れば紅華飯店の広東麺とシンチャン、ジロー、キティが待っている。何よりあけぼの会会長の仕事が待っている。

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