目黒川沿いの桜の花びらが風に舞い散って、おおかた葉桜になった。これで今年の桜はおしまい。シンチャンと10年余の日々、共に歩いた世田谷公園への道に今、小ぶりの赤いつつじの花が満開、真っ赤な花ベルトが目を引く。銀杏並木の木々にも柔らかいベビー若葉が全身に付いて、東京にようやく本物の春がきた。そんな日、シンチャンがお骨になって帰ってきた。持ち上げるとちょっと重い。
私は仕事だったので、加藤さんに頼んで青物横丁(品川から京急で3つ目の駅)の城南ペット霊園まで引き取りに行ってもらった。加藤さんは事務所に来て、家のテーブルの上に置いてきたが、帰る前に通いなれた世田谷公園を一周して見納めをしてから、終わりころ余り歩けなくなってから行った近くの東山公園でも少しの間、抱いて座ってきた、と報告してくれた。男の目に涙を溜めている。ほんの少しも気付かなかった心配りだったので、シンチャンのためにうれしかった。仕事をしていた富樫さんと二人で思わず泣いてしまった。
こうなると早く帰ってシンチャンと対面したくて仕事も手につかない。5時少し前に切り上げて急ぎ足で家に向かったが、マンションの建物が見えるや、こみ上げてきて、涙で前が見えなくなる。幸い、道には他に誰も歩いていなかったので、そのままなんとか4階まで手摺りに掴まって階段を登る。白い布袋に包まれた骨壷にそっと手を当てて「シンチャンお帰り」 合掌してから、夫がパソコン用に使っていた机の上に置いて、白百合の花瓶を移して飾り、ローソクを灯して、お線香を焚いて、これでいいのかしら。そうだ、写真だ。けど、適当なのがない。私と一緒に写っているのがかわいいので、それにしよう。
火葬にする前に子供達にどうしてほしいか参考のために聞いてみた。娘が「灰をもらってほしい。今度日本に帰ったら世田谷公園に撒きたいから」という。息子も同じ希望。多数決で、決まり。私はいつも自分の考えでしか物事を決めたことがない人なので、こうして他の人の希望に従うのは珍しい。でも人に従うのは楽でいいし、人の考えもたまには尊重しなければいけないとわかってよいレッスンになった。結果的にシンチャンを当分家で休ませてあげられるし、子供達もきちんとお別れができることになった。
それにしても今回のシンチャンの訃報に対して、全国のみなさんからあたたかいお悔やみのメールをちょうだいした。中には一度も会ったことがない人もいる。みなさんが口をそろえて「シンチャン、会長さんがいる間でよかったですね」と慰めてくれる。それも発つ5日前で、お骨で帰ってきたあとにもしばしの別れを告げる時間を持てた。子供達にもいばって報告ができる。賢いシンチャン、キミは最後まで賢かったよ。
私の留守中、ジローとキティを見守ってちょうだいね。家にはまだ2匹の生き物がいたのだ。息子が「マミー、さみしいけど、もう少し頑張って。こっちに来ればみんなが待っているから」と励ましのメールをくれた。ヒースローまで迎えに出てくれる彼の顔を見て泣き出したりしないようにしなければ。もう区切りを付けたつもりの私の心にシンチャンはしっかり入り込んで離れない。ならば、明日は私と飛行機に乗って空を飛ぼうよ、ね。