この10日午後ミラノに向かう。ノバルティス製薬会社が世界中から患者団体のリーダーを招待して毎年開く国際会議に出席する。会議といっても、最初に参加者の紹介があって、講演があって、後はグループに分かれてワークショップ。本当は、ティータイム、ランチタイム、ディナーパーティでインターナショナルな友人たちと歓談するのが、主目的。参加者リストを見ると、オーストラリアから来るリン、スウェーデンのインボルグ、イタリアのスーザン、キプロスのステラ、そして台湾からはグローリアの名前が見える。乳がん患者は共通して明るく楽しく親しみやすくインテリでお洒落(もちろん自画自賛)。
この会社主催のミラノ会議は今年で3回目。私は第1回に出て、昨年は欠席、事務局の富樫さんと福島支部長で、時にあけぼの会広報部長だった菊池弘美さんが出席した。あれは6月だったが、菊池さんはそのわずか4ヵ月後の10月に突然死した。なんということか。彼女は乳がんだけではなくて糖尿病も患っていたので死因はそっちのほうだったという。聞けばこのロンドンで小学時代を過ごしている。国際基督教大学を出て、英語が堪能で、雑誌に記事も書ける、そんな貴重な人なので、私が頼みにしていた人だった。
彼女を昨年6月にミラノに送ったのは正解だった。それまでにも海外行きのチャンスは幾度かあったが、3人の子供たちがいたこともあって、会を通じては一度も行ったことがなかった。だからミラノが最初で最後になった。10月10日のあけぼの会秋の大会にも出席連絡がなく、おそらく当日ひょこっと現れるんだろう、と踏んでいた。それが、その日には意識不明状態で病院に運ばれて、娘さんが大会最中に会場に電話で知らせてきていた。
私には霊感があって、時に突飛な行動をする。ミラノ前の5月の連休に、たまには近県の支部長をたずねて、ねぎらいのランチでもすればいいと思いつき、なぜか福島の菊池さんに電話を入れた。「今から新幹線で行くけどいる?」「はい、お待ちしています」あの人はいつも私に敬意を表してくれていた。そして、道端にまだ雪が残っている小寒い東北の駅で待ち合わせ、街中で二人でランチした。その後、一度、東京に来てもらって、富樫さんと3人でファイザー社のプレスカンファレンスに出かけ、帰り道、事務所に立ち寄ってもらって、おしゃべりをした。思えば、あの日が彼女とのお別れになった。
もともと神奈川に実家があって、昨年、末の息子さんが関東の大学に入学したのを期に実家近くへ戻りたい意向もあった。戻ってくれればすぐに事務局スタッフに加わってもらえるので、しきりに勧めていたが、現地で得意の英語を生かした通訳や翻訳の仕事を請け負って張りのある日々だったので、すぐには決断しなかった。実家ではお母さんが一人暮らし、娘が家に戻るのを心待ちにしておられた。人間、いつまでの命とわかれば、それに合わせて人生最期を最高の時として過ごすものを、といつも恨めしく思っていた。
その点、家の病人は最後通牒を渡されて、それに合わせて生きているはずの恵まれた人。だが、ことの重大さを忘れたかのように動揺を見せなくなった。日中は趣味のコレクションから本を作る仕事に没頭し、夜は1本の映画を子供たちと観賞して寝る。日々是好日。