パリでのワット家集合の日々は1週間で終わり、みながまたもと来た国に帰るときが来た。何でもそうだが、集まるのは歓喜でも、別れは惜別。幸い、息子は計画的にロンドン経由でパリ入りしていたので、父親をロンドンまで連れ帰り、しかもすぐによい病院に連れて行くことまで約束して、解散した。

 翌日行った病院では即刻入院と決まり、都合2週間入院、その間にALSと断定されたのだった。この疾患は症状や数値や画像などでは診断が付けられず、ほかの可能性を一つずつ消去していき、最後にこれしか残らないからという消去法で確定される。よって、診断がくだされるのに、数ヶ月から数年もかかる人がいるという。夫の診断は早いほうと言えるのかも知れない。

 運動神経に故障が起き始めた兆候は、今になって振り返ってみると数あったのだ。まず2005年7月、パリの路上で転んだことに始まって、その後、8月に渋谷駅で後ろから早足できた男にこつかれて転んで、9月にロンドンの大通りで転んで人々が集まって抱き起こしてくれて、その後10月にアムステルダムで自転車に乗ったまま転んだという。ひと月に1回の割で、都合 4回転倒したことになる。

 パリでの開口一番が「アムステルダムで自転車で転んだとき腰を打って、それで杖をついて歩いている」という弁解だった。私は「自転車で転ぶのが変よ」(脳がいかれたのよ)と強烈に断定的に言って、彼の弁解を跳ね返していた。私の勘はいつも当たる。

 でも、今ようやく転倒の歴史が明らかになって、一連の転倒事故こそALS前兆だったのだ、と納得するのだが、誰もこのような病気の存在も知らなかったこと。よって、1, 2度転んでもその転倒を関連付けできなかったことは仕方がない。ただ、彼はパリで私たちに会ったときにはすでにフレンチドクターに見てもらっていたので、自身、普通ではないことに気づいていたことになる。

 息子は仕事の関係で3日だけ父親の面倒を見て、サンフランシスコへ戻ったのだが、その間に一度、スーパーに出かけて帰ってくると、父親が家の中で転んで立ち上がれない状態だったらしい。もちろんすぐに立たせて上げたが、父の姿が憐れでならなかったらしく、私には内緒で姉にだけ報告していた。その後、バンコックでも一度家の中で転んで、私と娘と二人で立たせようとするのだが、ピクとも動かない(大体80キロあるんじゃないかしら) 婿殿に助けてもらってやっと立たせた。男の力でないととてもじゃないけど持ち上げられない。転ぶと体重が足にかかって、足が斜めだったりすると、それが痛くて悲鳴をあげる。これだから、転倒は断然こわい。

 皮肉なことはこの病気は人並み以上に活動的な人に多いという。あらゆるスポーツをしたり登山をしたりジョッギングをしたりする人。ちなみにあの有名な野球のゲーリック選手がそう。前述のエリックは発病当時カリフォルニア州に住んでいたが、超活動的で、ウオータースキー、狩り、魚釣り、砂漠でダートバイクを乗り回すなど、その上、月曜から金曜まで仕事前に3マイルのジョッギングを欠かさなかったという。夫が入院中に会った同病の男性も登山狂で、発病前には英国での最高峰を踏破したそう。

 さて我が家のALSさんはスポーツには興じなかったが、とにかくじっとしていない。35年の結婚生活で週末は一日たりとも家でだらっと寝巻きやトレパン姿で過ごしたことはなく、必ずあちこち出かける人だった(主には神田の古本街)。また、朝は目覚ましを3個は鳴らさないと起きられない人生。(寝足りないから起きられないのよ、と私の言)そして、もっとも思い当たるハイパーアクティブは飛行機や汽車での移動。どれだけの国を動き回ったか、回想するに空恐ろしいものがあります。(でもこのくらいの人はほかにいくらでもいそうなものですね)

バナー広告

コム・クエスト

共同文化社

とどくすり