昨日夫は町で、チェンマイに住むイギリス人の知り合いとランチをともにしたいというので、待ち合わせのレストランへ連れて行った。車の中で「今日はお金がいるのね」と聞くと「もちろん」と答える。1000バーツ(約3000円)紙幣を渡して、あと一枚ちらつかせるとさっと巻き上げて、いたずらっぽくウインクした。久しぶりに大金を持って、はしゃいでいる。

 レストランの椅子に座らせてから、「ではゆっくり男のランチ楽しんでね」と私と娘はすばやく逃げて、1階上の別のレストランに入り、女のランチをエンジョイした。階下においてきた夫のことは一瞬のあいだ忘れて、ゆったりした開放感に浸っていると、頭の片隅で何か忘れていないか、というサインが出て、あ、そうだ、難病患者だ、と思考が引き戻される。こういうことは誰にでもよくある現象でしょう。

 「1000バーツでは足りなかったよ」というから「なに、払ってあげたの」と聞けば「もちろん、招待したかったのだから」という。病人がなんで健康男の分まで払うのよ、逆じゃないの、逆。あの友だち、紳士面して、病人に付き合ってやった、くらいに思ってんじゃないの。だから全体的にイギリス人て嫌いなのよ。

 しかし、夫は足腰不自由な身になっても、つい何ヶ月前までの正常な生活の一端を再現したかったのだ。友と食事をして、今日は僕のおごりだよ、と請求書をチラッと見て、その上にお札を置く、そんなジェスチャーがしたかったのだ。(彼は今はもうカードは持ち歩いていない)

 今、この家では彼がいつロンドンへ戻るべきかと、毎晩討議されている。ちょっと前までは、終の棲家をバンコックにするかロンドンにするかの議題だった。バンコックは家賃が安く、広いアパートが東京の三分の一か四分の一の値段。マッサージが家に来て2時間で2000~2,500円。炊いたご飯がタイ米でよければ一回分20円。気候は確かに暑すぎるが寒さで凍えることはないし、なんといっても太陽があるし冬服が要らない。

 ロンドンへ帰るにはまず完全バリアフリーマンションへ越さなければならない。広いリビングルームに家族の滞在を見越して3ベッドルーム、なんて希望をいう。そんな欲張りを言って、ロンドン市内でいくらで借りられると思ってんのかしら。とにかく娘と息子が先に偵察に行き、探索し、大かた決めてから病人を迎えに戻ってまた出直すことにその夜は決まった。

 ところが、夕べになって、転居先の最終決定は自分がしたい、と言い出すではないか。(病んでは子に従えでしょ。子供たちに任せればいいじゃないのよ。第一さっさと歩けないんじゃ足手まといというものでしょ)おまけにバリアフリーだけでなく、一人で外出できるか確認したい、という。「一人で外出なんて、危なくて、問題外。無理よ。誰かが付いていてもむずかしいのに」と私が叫ぶ。「無理じゃない、できる」と必死で抵抗する。なんなのよ、思い切りの悪い人ね。

 夫はまだ自分の人生に対してイニシャティブを取ることは当然だと思っている。歩行器の世話になっても頭が正気な間は何でも自分で選択し決定したい。これが即ち「人間の尊厳」なのだから、尊重して、悪あがきなどとチラと思っても口にしないで、面倒でも、私がまた我慢するしかない。