「パリは燃えているか」という本を上下巻買って読んだことがあるが忘れてしまった。「パリに死す」は大仏次郎だったか。若いときに読んだ本の中身なんてみな忘れてしまった。では本は何のために読むのだろうか。感動したり生き方考え方を示唆されたり、一冊の本から受ける影響は少なくない。私の処女作「けっしてあきらめないで」(絶版)を読んだ一人の男性から「あの本を読んで、仕事をやめて自分の本当にしたかったことをすることに決めた」と感謝されたことがある。一人の男の人生方向を変えた私のペンの力って脅威。

 ロンドンのウォータールー駅からユーロスター・パリ行きノンストップに乗って3時間半。ちょうど東京大阪間の距離か。ドーバー海峡トンネルを抜けるとそこは真夏のフランス。車椅子客は特別割引運賃(普通車より安い)でグリーン車に乗せてくれ、付き添い一人まで同額でよし。そこへ我が家は付き添い3人、うち2人が追い出されてしまった。娘は負けずに「この前オランダへ行ったときは全員OKだったのに―」と詰め寄っているが、そんなうまい話がいつも通用するはずがない。グリーン車は席が広いだけでなく、飛行機みたいにワインサービスから始まってあったかい食事も出る。「追加払えばいいんじゃない」「一人60ポンドよ」「1万3千円?ダメよ、もったいない」で決まり。女二人は普通車へすごすご移る。

 車窓から眺めるフランスの田園風景は日本のテレビで何年も続いている「車窓から」の番組通りの風景でうれしくなる。しかし、何を隠そう、風景そっち退けで数独に無我夢中の私、パリの予習でもすればいいのにね。思えば昨年11月1日、私たち家族は全員パリで会って、杖を使わないでは歩けなかった夫の姿に愕然としたのだった。あの時は本人もこんな恐ろしい病気の始まりとは知らず、階段を手すりにしがみついて降りたが地下鉄にも乗り、ベルサイユまで行って、宮殿の広大な庭園も自分の足で歩き回った。

 今、誰もあの時の話は口に出さず、恐らく彼にとっては最後のパリになるこの滞在をエンジョイさせてあげようとしていた。ところが、夜、床が替わって寝られない。4晩が4晩とも少し寝るとすぐに起きてうーんうーんと唸る。苦しそうに、足を突っ張って、身の置き所がない様子。ダブルベッドが広すぎて掴まるところがないので寝返りが打てない。慣れた電動ベッドだと頭のほう、足のほう、どっちでも上げたり下げたり出来るのと、シングルサイズなので左右についている手すりに掴まれば、いつでも自分で寝返りが打てる。

 夕べ、パリ最後の夜、息子は一人でモンパルナスか、どこか夜の町に出かけていった。娘が付き添って、私は別部屋で寝ていたが、朝5時に起こされた。病人は死にそうな顔をして、ベッドはいやだから車椅子に移してくれ、と指でイスを指す。女二人ではとても無理。サンディが帰るまで辛抱してと、あちこちマッサージしたりタオルで冷やしたりするが、少し熱もあって、赤い顔をして、吠えて苦痛を訴える。あの遊び人はいつ帰るのか、まさに悪夢。両隣の部屋から文句が出ないか、そればかり心配で頭が痛くなる。結局、フロントマンの助けをかりて、イスに移した。すると不思議にすぐに寝息を立てて寝てくれた。でも、教訓は「もうこれで泊まりがけの旅行は終わり」。本人も子供たちも納得だろう。

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