パリはどこでも車椅子に親切なので驚いた。レストランのボーイが少しもいやな顔をせずにイスを外して車椅子が納まるようにしてくれる。対応がごく自然で、障害者になれているのがよくわかる。私はひがみっぽくて何でも必要以上に気にする性質。ちょっと迷惑顔をされると、もう気になって、こめかみが痛くなる。だから、やさしい顔、それもビジネスではなく、親身にそうだとわかると、それだけで心配予防線解除。道端で、夫の座り具合を調整していたら、通行人が二人も立ち止まって、何か手伝えるかと聞いてくれた。

 日本人は外国人に対して親切なのは有名だが、果たして自国の障害者に対しても同じく親切なのだろうか。私自身、自信がない。車椅子で忙しいレストランにでも入れば、面倒な客が来たという顔をされるのではなかろうか。新幹線のグリーン車に特別割引運賃で乗せてくれるのだろうか。何より市内全線のバスに車椅子が乗降できるランプが付いていて、バスでどこでも行ける。東京の都バスもそうなっているのだろうか。タクシー待ちの行列でも車椅子は並ばなくても最優先。大体、日本に車椅子対応タクシーってあるのだろうか。

 日中パリは33度、燃えている。古切手マーケットへ行きたいという。シャンゼリゼ通りから少し入った何気ない通りに音もなく市場は展開されていて、テレカだけを扱っているおじさんもいる。夫は古絵葉書を何十枚も選んで買った。この期に及んでまだ物を買う執念こそ見事。私ももう「あきれてしまう」と嘆くのはやめて、彼の一徹精神を尊重することに決めたのだ。娘がべったり付き添って、一箱ずつひざに乗せてあげて、夫が中から一枚ずつ選ぶ手伝いをしている。暑さに参った私は日影のベンチで寝てしまった。

 その後、バージンレコードでCDとDVDを買いたいという。灼熱のシャンゼリゼは観光客っぽい通行人であふれかえっている。ビルに入ると広い広い館内、CDとDVDが無数並んでいる。天の助けか地の恵み、日本のパチンコ屋のように涼しいのでうれしいため息。夫が書いたリクエストメモを持って、娘が探しだしてきた。ようやく4階のレストランで冷たいものを飲むことにしてくれた。夫はもう水を水のままグーと飲めないので、ジュース類にとろみを付けてスプーンで食べる。どうしても水分不足になりがち、脱水が怖い。

 7月14日、パリは奇しくも革命記念日、バスティーユ牢獄の前広場をテレビが中継している。夜10時40分からエッフェル塔の近くで花火が上がるという。そんな時間に、と怪訝に思ったが、遅くならないと夜空が暗くならないのだ。人が万といたか、群集広場に出かけていって、ガンガン響くクラシックに合わせてバンバン打ちあがる花火をみなで仰ぎ見た。それぞれの胸中に炸裂する思いは何だったのだろうか。私の胸中の炸裂は、夫亡き後、子供たちと毎年この日パリに来て、夫を偲びたい、なんて怪しからぬものだった。

 昼間、夫の知り合いのフランス人が奥さんと会いに来て、ホテル近くのカフェでランチをご馳走してくれた。夫とは10年の知己。「彼の変わりように驚いた。なんということだ」と憐憫の情を私にそっと耳打ちして肩に手をかけてくれた。彼と奥さんの心の暖かさは目を見ればわかるので、別れのときは、子供たちと私がみな涙を目にためて唇を噛んでいた。

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