夫はまだ生きていて、1ヶ月ぶりの再会を涙ぼろぼろ流して喜んでくれた。思えば、7月22日に帰国して、9月5日までの日本滞在はかなり忙しかったので、こちらに静養に戻ってきたようにホッとしている。でも相変わらず時差調整に孤軍奮闘、10時に寝ても夜中の2時半に必ず目が覚めてしまう。それから朝までの長い時間を思うと、いやになるので、つい眠剤に手を出してしまう。それも3時間と効かないでまた起きてしまう。私の問題は日本時間の夜が来ても眠くならないこと。終日頭ボーとしてうとうと状態。

 留守中の大きな変化はまず胃に穴を開けて管を付けたこと。そこから今はまだ水だけを朝夕2回注入している。寝るときに小水の管も付けている。少量のモルヒネも始めていて、毎晩のんで寝る。これを始める前は夜中に何回も起きてみなが大変だったらしい。今は薬のおかげでゴーゴー音を立てて朝まで一直線に眠るので助かっている。体つきがますますホーキングス博士に近くなっていて、まっすぐ座るのが難しくなっている。 

 そんな状態だが、夫はもともとじっとしている性質ではなかったので、今でもチャンスがあればどこへでも、まるで自分の足で歩いているかのように出かけている。土曜日は「Producer」というミュージカルをマチネーでアメリカ人の友人と息子の3人で観にいった。私はチケットが高いので遠慮した。一枚50ポンド、約1万2千円。どう見てもちょっと高い。障害者と同伴者は半額なので、二人で一枚分払えば済む。シアターは車椅子に親切で、最前列にイス一つネジを外して除けてスペースを作ってくれたそうだ。

 唯一機能していた右手の力がずいぶん衰えていて、ペンを持つのも字を書くのも難しくなっている。アメリカ人の友人、デユーイにパソコンから編集したCDをあげたくて作ったまではよかったが、そこへタイトルを書くのに右手で抑えながら書くのが思うように行かなくて怒っている。それでも自力でやりたいというので、誰も手出しできない。情けなくなるたびに安楽死の話を持ち出して、子供たちが取り合わないので、私に子供たちを説得してくれ、とせがむ。適当に返事をしているのだが、どうすればよいのか。

 息子は「なにか困ったことが起きるたびにその話を持ち出すが、いい加減やめてほしい」と叱りつけたそうだ。私はといえば、ベルギー、オランダ、スイスのどの国でも安楽死が法制化されているから、そこへ行けるようにしてほしい、と頼まれて、どうやってその国まで連れて行くのか、ひたすら移動手段を考えていた。夫がデユーイと会うのもこれが最後になるかもね、という私に、そうとは限らない、ときっぱりいう息子。病人を殺してかかっている私と、生きると決めて疑わない息子との違いがここに顕著。

 ネブラスカで広大な農園を経営するデユーイと夫は長年の友、違いは彼は桁違いのお金持ち。今回のヨーロッパもチェコで車を買って縦走開始、ロンドンへはバルセローナ経由できて、ここからアイルランドへ行き、旅の終点で車を買い戻してもらって、飛行機に乗り換えて、タイのパタヤビーチへ飛んで2ヶ月滞在したのち、ニューヨークから2回目の世界1週110日間のクルーズに出る。こんな好き放題の人生があるなんて。