今日9月25日は息子の誕生日、34歳になる。ニューヨークのルーズベルト病院で産まれたときは病院に向かうタクシーの中で飛び出しそうになって、分娩台に登るや否やオギャーの声がした程のせっかちだった。それがおっとりのんびりした性格で私とまるで正反対。もう先に書いたかも知れないが、日本からアメリカへ帰るのに箱崎まで見送りに行くのに、あんまりのんきに支度しているので、時間を気にして待ち切れなくなった見送り人の私が先に家を出て、箱崎に先に着いて待っていたというエピソードがある。
今日はアメリカから出張でたまたまロンドンに来ている同級生のアイザックとあと二人の男、エイジとダンを招待していて、メニューは私のとんかつ。4人の大男に食べさせるとんかつを揚げるなんて、ほとんどトンカツ屋になった気分だろう。エイジとダンは大学を出てからしばらく東京で働いていて、その間何回も家に来て私の手料理を食べている。エイジは母親がイギリス人でお父さんが日本人、イギリスに定住してサラリーマンになって結婚して一児のパパ。ダンは来月、日本女性と結婚が決まっている。みな私の息子。
ああ、でもトンカツは面倒くさい。第一パン粉が足りないので日本食料品店まで買いに行ってこなければ。日本米も要補充。しかし、一年に一回しかない誕生日だから、面倒くさくてもやりましょう。娘がケーキを買うことになっている。ビールとタバコの年頃にロウソク立てたバースデーケーキなんて不釣合いだけど、儀式は盛り上げなければ。東京で二人が家に来ると雨でも雪でも食後三人で外へ出て行く。喫茶店ね、と私がからかうと、そう、と言って外で一服していた不良ども。今日もまた全員が外で喫茶店するのだろう。
息子は今は悲壮な生活を余儀なくされているが、人生を楽しむことを知っている。と同時に人を楽しませてくれる。楽天的で美食家ですべてマイペース。貧乏性でまじめ型の娘と私はうらやましくて見とれている。父親の死ですべてが終わったらどうするのか、傍が気を揉んでいるのに当人は少しも気にしていない。遺産は今食い潰しているので、何も残らないのだからね。妹が、大器晩成かもと慰めてくれたが、34で晩成していないのだから。
次なる我が家の誕生日は夫の10月15日70歳、それまでは生き延びてほしい。69と70では60台か70台の違いなので微妙だが大きく違う。体力が完全に衰えて、生きる気力も自分の意思も失う時が来ることが一番怖い。今も一人ぽつねんとして、目を半開きにして、ボーとしている時間が多くなっている。何をしたいの、と聞いても黙ったまま。
しかし、昨日は娘がリラを連れてニックの家にランチに出かけるとき、自分も行きたいと言い出した。車椅子がニックの家には入らないので、もし娘と行けば娘はリラを置いてすぐに帰ってこなければならない。それで私が、あなたは私と家にいなさい、人が行くとこどこでも行きたがらないで、と強く言ったので諦めた。が、ドアの前から動かない。どうしても行きたい、を繰り返すので、やむなく私が始めて一人で車椅子の夫に付き添ってニックの家まで行った。着いたとき娘は、だから連れてきたかったのにマミーがダメって言うんだからとうれし泣き。夫と私は、そこにいたみなに挨拶して、すぐに引き返した。