日本を出る前に「今度の帰国は2月に決めているが、向こうで2週間すると、どこかここか具合が悪くなるのよ、だから、2月まで持たないと思う」と人に言っていたが、その通り、早や神経が限界シグナルを出している。とにかくここ、この混沌たる世界から逃げ出したい。たとえれば、腹の中に重石が居座り込んだようなのだ。メリークリスマスとかハッピーニューイヤーとか言っても気分が付いていかない。ここには私の居場所がない。家族のために自我は捨てたつもりでいたのに、「つもり」なんて、かくも当てにならない。

 2006年も秒読みに近づいた。この国にワット家全員が結集して、ALS患者の介護を始めて丸1年が経とうとしている。娘と息子はすっかりここが生活の場になってしまった。若い二人の将来を思うと、こんな生活は全く将来性がなく、人は彼らの自己犠牲的献身的精神を褒め称えるが、彼らの将来を親身に案じたり保証したりしてくれるわけではない。社会的つながりを完全に絶ち切って、父親だけを見て、一年を過ごしてしまった。彼は遅かれ早かれ死ぬ運命なのだから、ここまで全身全霊尽くせばもういいのではないか。

 しかし、二人とも今は(病人が死ぬまでは)この生活から脱却する気はない。だから私が先に脱却か脱落かして見せればいいのではないか。だって、ここは私の生活の場ではない。私には日本に責任大の仕事があって、アパートがあって、猫もいて、世田谷公園でラジオ体操をする日課もある。だから、生活の比重は日本のほうが重い。二人を観察すると父親と一心同体の感じだが、私はいつも一定の距離を置いている。これって、血のせいではなかろうか。親子は同じ血で繋がって血縁だが、夫と妻は所詮血は繋がっていないのだ。

 ああしかし、今日25日はクリマスデー、家族が固まる日、とこの前書いた。息子と買ってきたターキーを焼きました。3キロ。初体験だったので、料理長、柄になく緊張したのですが息子が、グー、と太鼓判押してくれたのでホッとした。長らく会わないようにしていたインド人の婿殿も加わって2時過ぎになってようやくクリスマスランチの始まり。添えの温野菜はポテトと芽キャベツと決まっている。何で芽キャベツなんだろう。病人はみんなと同じ、本日の特別メニューをミキサーで砕いて食べさせてもらっている。

 シナトラのホワイトクリスマスが流れて、一見幸せを絵に描いたような、この平和が永遠に続きそうなファミリー絵図なのに、家長にはこれが人生最後のクリスマス。喋れなくなって長いので、会話に交われない。周りも彼の存在をつい無視して会話している。でも、ランチが終わって片付けも終わって私が腰を下ろしたら、ダディのスピーチよ、と娘が言って、右の人指し指で右ももの上に一字ずつ書くアルファベットを読み上げる。「みんな、今日はありがとう、おいしいランチありがとう」

 夜は3人でジャックレモンとシャーリーマクレーンの「アパートの鍵貸します」を見ていた。前夜は名作中の名作、フランク・キャプラの「素晴らしき哉、人生」を見て、クリスマス定番映画を2本クリアした(私は終始居眠り)。 あと夫のお正月定番はオーソンウエルズの「第三の男」、「映画ってホントにいいですよネ!」の映画評論家の顔を思い出す。