「患者の権利」という言葉が叫ばれるようになって久しい。患者が病気のために治療を受ける権利はみな等しく持っているのですが、ここでいう「権利」は少し違って、カルテを見る権利、セカンドオピニオンを得る権利、または患者が死に至った場合は家族がその経過の一部始終を知る権利とか、少しばかり医療者側に挑む雰囲気のものを言うようです。

そして、時代は今、「カルテ開示」「セカンドオピニオンを得る権利」などの法制化にまで進展して、法律が出来るのも時間の問題にまで迫っています。

しかし、考えてみれば、今でもセカンドオピニオンがほしければ、自分の足で取りに行けばよいだけで、誰もそれを止めてはいない。ただ、いやな顔をされたらどうしよう、などと患者が悩む必要はなくなり、患者の精神的負担は軽減されるには違いないとは思います。

「カルテの開示」にしてみても、今ではインターネットでカルテを患者が見られる時代になりつつあります。ただ、そこには従来の難しい専門用語の羅列ではなくて、素人が理解できるような普通の言葉で書いてあるのでしょうか。もちろんそうでしょう。

ただ、がんのような疾病の場合、先の見通しが暗い時もありのまま書かれたカルテが本人に渡されることになります。果たして患者側はそれをも受容する心の準備が出来ているかが疑問ですが、それは、個人的に違うので、一概には言えないでしょう。

何でも法制化されれば、患者は今まで持っていなかった権利を獲得した気になるでしょう。が、果たしてそうか、私はそうは思わない。

私自身、26年前ですが、乳がんかと疑ったとき、2件の病院を訪ねています。1軒目ではマンモグラフィ―を見て(写りがよくなかったらしい)、しこりも小さいし少し様子を見ようと言われました。それで、2軒目に行ったのですが、そこでもマンモを撮り、超音波検査までして、「90%は良性」と診断されたのでした。

そこまで言われたら、みなさん、どうしますか。がんではない、のほうに傾くでしょう。しかし、私は、安易に妥協せずに、徹底的に調べてください、と攻め寄ったのです。やむなく、一歩進めて細胞診をした結果、「悪いもの」と判明したのです。これをあたかも一生一代の武勇伝のごとくに語り続けて来ていますので、いい加減にせよといわれそうですが、またしても言っちゃった。

あの時の「患者の権利」は、医者の診立てを鵜呑みにせず、自分が納得するまで検査をするように仕向けた、検査をさせた、この一点にあります。これが「意味のある患者の権利」だと私は思うのです。