またまた電話相談のお話ですが、聞いていて、どうしてもたまらなくいやな感じの人がいます。そんなこと本当は言ってはならないのですが、我慢できない時はやはり早く切ってほしいので、ウソをいってしまう。例えば、今すぐ出かけなければいけないので、すみません、ごめんなさい、とか言って、終ろうとする。すると、相手はなぜか気配を察して、「どちらさんですか」と聞く。「会長です」と答える。
会長なら仕方がないとあきらめてくれるか、もうこんな会には電話するまいと決めてくれるか、どちらにしても私はもう悩まないことに決めている。以前は大分悩んだのですよ。でも、こちらの精神状態も正常に保つにはある程度の取捨選択していかないと身が持ちませんのです。お医者さんはよく辛抱される。感心敬服脱帽。
面白いことには大体この種の人は、病院をハシゴしている、専門用語を使いたがる、たいした症状ではないと思えるのに一人おおごとにして騒いでいる、何を聞きたいのか自分でも決めてなく、ただひたすら細かい経過報告をする・・・などの傾向にあります。それで、「あなたは一体何を知りたいのですか」と叫んでしまう。
こんな経験から、自分がどこかへ電話して何か教えてもらうときは、何を聞きたいのか要点を絞ってなるべく短く、相手が答えている間は黙って聞く、あまりへりくだって、お忙しいのに申し訳ありませんが、を繰り返して言わない、はきはきと明るい声で、敬語は正しく使う、などの基本原則を守ることにしています。本当にいやなのは自分は尋ねる権利があって、あなたは答える義務がある、みたいな人。
今年もあと2週間で終りです。暮れ独特のせわしさ、さみしさ、これもいやですね。人がみな幸せに見えて自分だが取り残されたような、言い知れぬさみしさに襲われませんか。私だけがひがみっぽいのか。近くの銀杏の葉があと一枚二枚ですっかりなくなる所まで来ています。それで、オー・ヘンリーの「最後の一葉」という短編小説を思い出して、もう一度読んでみたくなった。文庫本を探しましょう。
一方的に書いて、今日めでたく37回になりました。最初は規則正しかったのですが、だんだん納期がいい加減になって、いけません。毎回楽しみに?読んでくださっているかた、時には反論、ご意見などもお寄せくださいませ。批評されるのはちょっと怖い気がしますが、されないのは実はもっと怖い。ですから、あなたの声も聞かせてください。ホームページに載っているアドレス宛に。
毎回何か一つピリリと心に残るメッセージを秘めたエッセイにできたら、それも、がん患者の心に届く愛のメッセージを、と思って書いていますが、時にまったくの駄文もあって、すみません。それでも何とか書きつづけて行く所存でございます。それにはもっと文献を読んだりして勉強しなければ、ですよね。私は最近怠け者になって夜はワインを一杯やって、テレビを見て寝る。来年はきっとあらためます。