全国の患者会のリーダーさんよ、一度、全国集会をいたしませんか。一同に会して、会の運営、活動の問題点、責任者としての悩みや大変さ、などなどについて思いのたけを吐き出すのです。どんなに胸の内がすっきりし、どんなにか心の疲れが癒されることでしょう。自分だけが大変なのではないことがわかるだけで一安心、また続けようという気力が湧いてくる。請け合います。集まりましょうよ。

 今から5年くらい前ですが、日本製薬協会の主催でアメリカやイギリスからスピーカーを招いて「患者主体の医療」をテーマに講演とパネルディスカッションが催され、私は日本の患者会代表で参加しました。あけぼの会のそれまでの活動紹介など、一応スライドを作っていったのですが、会場に着いてから、国内の患者団体代表が大勢見えていると聞かされて、急遽、スピーチの内容を変えることにしました。

 どう変えたか。あけぼの会の歴史や宣伝の代わりに、日本における患者会運営の苦境を訴えることにしたのです。どこからもサポートを得ずに自力で、見えないところで、がんばっている、私も力尽き果てている、という「窮状強調型」。

 その実、我が会は数ある患者会の中でも会員数大、歴史も古い。経済的にも困ってはいない。会長がしっかり踏ん張っていて、内部紛争も起きない(起こさせない)ようになっている。それを海外からのお客さんにも堂々と自慢したい。でもその場は、日本の平均的患者会の代弁者たらんとしたのです。

 するとどうでしょう。フロアからつぎつぎとリーダーたちが立ち上がり、自分が会のためにどれほど苦労し犠牲を払っているか、と苦渋の述懐を始めました。時間が許されるものなら、われもわれも、という雰囲気でした。そして、そのあとのパーティ会場でも、さまざまな会の代表が私のところに歩み寄って「よく言ってくれました、まさしく、その通りです」と私に握手を求めました。素晴らしきかな、志を同じくする仲間たち。私のスピーチがみなのいっときの癒しになったのです。うれしくて、私も胸熱くなりました。

 「私たちがほしいのは、患者会が社会から必要とされている、即ち、患者会の活動には社会的意義があるという<認識>です。その認識がないとしたら、当事者たちは報われません。どうか、みなさん、患者サポート団体をサポートしてください」これが私のアッピールでした。そう、日本の患者団体がもっとも必要としているのは運営資金ではない。自分の信念だけで(けっして名誉やお金のためでなく)患者会のために働いている人たち。その人たちに対する敬意と賞賛、精神的サポート、これが先なのです。これこそ、何よりのご褒美、張り合いになるというもの。

 だから、今すぐにも私たちは結集し、お互い敬意を表し、共感し、理解し合うことが先決です。そうでないと、みな揃って討ち死にか、「燃え尽き症候群」で燃え尽きてしまうことになる。