去る3月7日、埼玉県の伊奈というところまで、放射線技師さんのお集まりに招かれて行って来ました。大宮駅からタクシーに乗っても30分近くかかる山の中、というと、叱られますが、土地がまだいっぱいあって、素朴でよいところでした。

 講演のテーマは「乳がん患者が放射線技師に望むこと」。しかし、「望むこと」を1時間半の講演時間全部を使って話すのは至難の技。そこはその、いろいろ取り混ぜて話を引き延ばしたのであります。

1) 患者は(日本人は)放射線に対して先天的恐怖心を持っている。放射線=放射能という概念があるからだと思う。それで、その恐怖心を少しでも取り除いてくれる心配りがあるとありがたい。

2) 例えば、言葉かけ。みなさんは、想像するに、放射線科医から指示された個所に照射をするのが職務で、いかに正確に照準を合わせるかが技術なのでしょう。でも照射されるのは、個所ではなく一人の人間なのですから、それを忘れないで、言葉の一つもかけてあげてほしい。「こんにちは」の挨拶一つで緊張がほぐれるものなのです。

3) 照射の間、ミュージックが流れてくる仕掛けの病院があると聞いていますが、それをどこの病院でも実行できないものでしょうか。音楽に神経集中することで、不安な気持ちが消えてしまうのです。

4) 放射線科といえば、どこの病院でも、まず玄関に近いところにはなくて、大概が地下の奥、暗くて陽が当たらないところにあるようです。そんな環境で働いていると人間自ずと、ひがみっぽくなるのではないか。(と、はっきりいえなかった)

 でも、ですよ。がん患者が病気を治してもらうためには、実にさまざまな職種の専門家に世話になっている。あなたがた、技師さんもそのうちの一人。あなたがたを抜きにしては治るものも治らない。よって(ひがまないで)堂々と、プロの自負と誇り、そして自信を持って、任務に当たってくださいませ。(ただし、それには常に勉強を怠らず、最新情報を習得していていただかないとなりません)

 とまあ、このような注文を口角に泡飛ばし、愛を込め、力をこめて述べました。ところがです。反応が全くないのです。講演でしゃべりまくっていて、聴衆の無反応ほど無力感を味わうものはありませんです。まさに悪夢、恐怖の体験。何を言えば、喜んでもらえるのか、話ししながら頭の中で思案模索するのですが、こりゃ何をいってもだめ、という絶望感に襲われる。

 私は別にウケを狙っているわけではなかった。けど、多少の感動共感同情があってほしかった。乳がん患者会の会長なんか、放射線技師にとって何の興味も湧かない人種だったのだ。結局、私は講師失格だったのであります。よって、埼玉講演会は失敗。講師先生は再起不能くらい(大げさ)にくたびれ果てたというのに。