(これは3月22日に書いたものです)
この<週一連載>を始める時、何を主に書くか、考えました。そして、「今、がんと闘っている同士とその家族のみなさんに贈る愛と激励メッセージ」にしよう、なるべく、私生活の報告集にはしない、と決めました。それが、途中でだんだん軌道が外れてきているようです。「あれを読むと会長さんがどこにいるかわかる」という声が聞こえてきたりするので、結構、私生活便りになってしまっているのですね。
それでみなさん、突然ですが、私は明日3月23日の夕方、成田を出て、サンフランシスコに向かいます。息子が車の事故で右腕骨折。不自由なので、お母さんに来てほしい、と指名を受け、断れなくって、です。骨折くらいで、すっ飛んでいくなんて、私も甘い。ただでも忙しくて、大小の予定もあったのに。「大」のほうでは、4月4日からスイスのチューリッヒに製薬会社ご招待の研修会があって、行くばかりになっていたのです。泣く泣くキャンセルした。口惜しい。
私が手術を受けたとき、4歳だった息子も今30歳。再発でもして死んでしまったら、成人した息子の姿は見られない、とかなり悲観的になった一時もありました。あけぼの会の仕事ばかりで十分面倒見てやらなかった、という悔いに一生さいなまれている、ばかな私。面倒見すぎて、おかしくなる子もいる、と自分に言い聞かせるのですが、もし、全部人生やり直すことができるなら、あの時点まで戻りたい。
子育てと家庭生活を優先させて、その余力をあけぼの会に費やすような生活に改めて再スタートしたい。「あの時あれだけがんばったからこそ、今のように大きな会に成長したのだ」と自分の過去を正当化してみても始まらない。あんなにシャカリキにならなくても今日のあけぼの会はあったかもしれないのだから。まあ、それでも私は長生きして、成人した息子に会えるのだから、こんなことをウジウジ後悔しているなんて本当はとても贅沢なこと。
幼い子供たちを残して死んでしまった会員の無念を想えば、贅沢。どんなにか心残りだったか。20年も前、北海道の会員で若くして亡くなった会員のことを今でも思い出す。彼女は一冊のノートにいろいろなお料理の作り方を書いて残していった。地元の特別な食べ物、たとえば、鮭やニシンと大根の漬けたもの(名前が思い出せない)のような、毎年決まって家族のためにこしらえていたものの秘伝。3人の娘たちがお嫁に行く時に持っていくように、と言っていました。きちんとした人だったので、3人が自分のお葬式に着る着物の準備までしていましたね。
私は書き残すような秘伝の味は特にないので、せいぜい朝ご飯を作って食べさせたり、いっしょに外食したり、映画や音楽会に行ったりする程度。というと、かなり文化的なのですが、実は滞在期間の半分は大掃除に大洗濯、大片づけ。ゴム手袋持参で行ってきます。(これをみなさんがお読みになるころ、私は鉢巻してメード業の真っ最中でしょう)余談ですが、4月5日に帰国します。帰国の報告をお楽しみに!