明日、月曜の朝、胃カメラテストに行ってきます。金曜日に予約を入れたのですが、以来ずっと気が重い。胃が痛むとか重苦しいとか、確かな愁訴があるわけではないのに自発的に行くなんて、市民の鑑。なぜか毎年春になると、胃がん子宮がんは自覚症状が出てからでは遅すぎる、という脅し文句を突如思い出すのです。検査は何でも、いやですね。でも、いっときの辛抱。そう大袈裟に嫌がることもないのでしょうにね。

 それというのも、自称「乳がん死ゼロ運動家」が、胃や婦人科系がんを手遅れにしては示しがつかない。あの人、「乳がん」ばかり叫んでいて、何よね、なんて言われそうでしょ。それが、後世に残る名誉美学に反するわけです。胃がんも子宮がんもぜーんぶ早期発見でクリアしたんですってね、がんの女王とはまさにあの人のことですよ、と喧伝されたいのです。でも正直、がんは一つでいい。

 しかし、これが自分でコントロールできない。あけぼの会の会員にも乳がんのほかに胃がん、卵巣がん、子宮がんなど多重がんの人がぼちぼちいます。「乳」のほうはともかく、あと一つをどうやって自分で気付いて、病院に行ったのか、私はいつも感心します。だって、これだけは、どういう形であれ、検査を受けなければ、外観からでは判断できないのですから、検査を受けようとする意思と行動が突出的に偉いのです。

 何か少し異常を感じても、これががんなんかであるはずがない、と自分の中で完全消化させてしまって、病院に行かない人。もし、これががんだとしたら、どうせ死んでしまうのだから、とずいぶん早めに諦観して、病院へ行かない人。「がんなんかではありませんよ」と、何度訪ねても同じセリフを繰り返す病院へ、怪訝に思いつつ繰り返し行く人。がんとの遭遇。この最初の自己診断が往々にして、のちの命を左右するので、がんは人智を越えることもある。

 ニューヨークで知り合って、その後20年越しのよき友であった版画家の彼女は大腸がんが判ってから1年半後くらいで亡くなってしまった。聞けば、ニューヨークのかかりつけの医者に何度も見てもらいながら、発見できず、日本の専門医を紹介してもらって帰国。すぐに入院検査。しかし、彼女のがんは既に腸管を破っていたそうで、治癒は望めなかった。会うたびに、問題のドクターの悪口を聞かされて、少し閉口。でも恨みたくもなるでしょう。医者なんだから、見抜けないのは困りもの。

 でも最終的判断は患者の勘だと思うのですよ。動物的勘、これです。人間も動物なので、必ずや体の奥から本能的赤信号を発信する。要はその信号に謙虚に耳を傾け、理性で行動に移すか否か。本能と理性との戦いでもあります。がんを認めたくない理性が本能を押さえつけ、無理矢理、自己納得させてしまう。

 ずいぶん暗い話題になりました。ホラームービーのようですね。でもこれを読んで、慌てて検診に行く人がいたら、私はやはり常に国民のみなさんのためになることを率先してやってることになるんですよね。(検査結果はわかり次第ご報告いたします)