実はまた22日(火)から26日(土)までロンドンへ行ってきます。ノルバテックスやアリミデックスのアストラゼネカ社が、世界中の患者会リーダーを集めて勉強会をするので、日本代表で行って来ます。前にも言ったと思いますが、朝から晩まで英語の講釈を聴いているのはクソ面白くない(言葉に気をつけて)。辛いのですが、ならば、日本で朝から晩まで<あけぼの会>の仕事をするのとどっちがいいか、と自問して、2者択一で決断しました。

 今度の旅はアストラゼネカ社から若い男性が一人付いて来て、一切の面倒を見てくれるので、空港の手続なんかも私が頑張らなくてもよいのです。私も遂に有名芸能人並みの待遇が受けられるようになった。思えば、一人でどれだけ苦難の海外旅行をしたことか。イタリア、オーストラリア、アメリカなどの国々へ複数回。 

 イタリアのトリエステという中世に海運都市として栄えた町へ行った時はミラノ空港で8時間も待っての乗り継ぎでした。一人で、話す人もいない空港ベンチで8時間も、しかも日本から14時間以上の長いフライトのあとですから、察してもみよ。そして町に着くと、暗い小さいホテルで、お風呂はシャワーしかなくて、タオルが布きんみたいな硬い綿で、おまけに変な時間に寝てしまい、全員が大挙してバスでディナーに出かけてしまって、ホテルにはレストランがなくて、夕飯食べ損ねた、見るも憐れな日本老女。

 シドニーへ行った時は出かける前から風邪気味だったのが、飛行機でもっと悪くなって、会議もフラフラで、それでも何とかこなした後に、当時友達が住んでいたアデレードというところまで飛んで行って、面倒みてもらって、何のためにオーストラリアまで来たのかと友と嘆いていました。病気静養に行ったのでした。 

 アトランタにも一人で行ったけど、帰途、飛行機が4時間も遅れました。あの時もどうしようもなく、空港で時間が過ぎるのを待っていた。空の旅をする人たちはなぜかとても我慢強くて、じっと待つ。急用の人もいると思えるのに、仕方がないものには逆らわない。私のようにすぐ「ちょっと上司呼んで」なんて、わめかない。

 今もう一度やれといわれても、もう私はいやですね。あの頃は若かったのと、使命感に燃えていたから、どこへでも一人でさっさと出かけて行った。 最近は体力も衰えましたが、肝心の使命感の方が薄れてきていて、馬力が出ない。人間を突き動かすものは、これですね、使命感、いい言葉。

 でも、あの頃の蓄積が、あけぼの会の存在を世界に知らせ、国際大会に数回参加していた実績でテレサ・ラッサ―賞の受賞につながったのです。今、どこへ行っても、必ず誰かが「タカコ」と呼んで飛んできてくれる。苦しみは必ず報われるのよ。

 今、思い出したのですが、20年も前、始めてイタリア会議に行った時、私を見た人が、日本に乳がんになる人いるの?なんて、聞いてきた。昔はそう信じられていたのです。では、みなさん、今度こそ土産話を楽しみに待っていてください。

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