いわき市の豊間海岸で祈りを捧げる人々(撮影:木村智子・福島 2018/03/11)いわき市の豊間海岸で祈りを捧げる人々(撮影:木村智子・福島 2018/03/11)「犀の角のようにただ独り歩め」この言葉を、昨日朝5時過ぎ、Eテレ「こころの時代」で初めて知った。福井県、明通寺の住職、中蔦哲演さまの講和だった。ラジオ体操に出かける前にふと点けたテレビからの声に釘付けになったのは、天の声に聞こえたからだろう。Yahooでは「サイの頭部にそそり立つ太い一本角のように、独りで自らの歩みを進めなさい、という意味」となっているが、お住職は「たった一人で歩めということではなく、めいめいがこの気持ちを持って、みなで歩め、ということ」と言われた。
感動した。私が、人生、独りで歩んできた、と強く感じているからだと思う。まさに犀の角のごとく・・・だった。あけぼの会40年の道のりは長く、わざとらしいが「孤独」だった。でも、どんなときも、まっすぐ歩いてきたことは、間違いではなかった。今からでも、仏教の教えを、一から、謙虚に、学びたくなった。
昨日は忘れもしない「東日本大震災」の日、今年で7年目。1万5千人以上の死者、いまだに行方不明が2500人以上いるという。なんという悲惨な天災だっただろうか。いまだに避難生活を送っている人も万単位でいる。原発が悲劇を増大した。それなのに、オリンピックかよ、と言いたかったけど、誰も止められなかった。私が独りで叫んでも、は卑怯だった。誰もが当事者になってみるべきだったのではないか。7年はすぐ過ぎ、帰る家が見つからなくて、諦めてしまい、避難生活が自分の家になってしまった人もいるのではないか。
何でもが運命なのだろうか。中蔦住職さまは「地道な托鉢によって、被爆者を支援し・・・」とある。だから、3・11の被害者の心の傷をいたわるにふさわしいこの方がテレビで話をされたのだろう。番組中、私は聞き逃したのだが、「自利利他」のお話もされたという。渡辺亨先生が私にいつも「ワットさんは利他の精神ですね」と言ってニコニコされる。でも私は仏教の教えを現世で施すほどの人間ではないので、申し訳なく思う。
「震災記念日の写真を撮って送って」と地元の木村さんに一昨日になってからメールで頼んだ(会長さん、あけぼの会はどこにでも会員がいるのを忘れてはダメでしょ)。木村さんはセミプロカメラマン、いいカメラを持っている。大慌てで送ってくれた写真、とてもいい。祈りの写真、そうだ、みなでお祈りをしよう。被害にあった人たちのために祈りを捧げよう。   ワット   akebonok@d9.dion.ne.jp

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※自らの悟りのために修行し努力することと、他の人の救済のために尽くすこと。この二つを共に完全に行うことを大乗の理想とする。