東京、墨田区 両国国技館前、毎日熱戦が行われています。(撮影:下川恵子、事務局 2018/9/13) 東京、墨田区 両国国技館前、毎日熱戦が行われています。(撮影:下川恵子、事務局 2018/9/13) 今朝から腰が痛くてまっすぐ立てない。膝の次は腰、との予告通りになりつつある。今日は東京新聞の取材があり、午前中、少し緊張した。家に帰ってすぐ熱めのお風呂に入って、腰をあっためても直らない。今8時、家の中で腰曲がり姿で歩いている。明日は午前中に読売新聞、午後から毎日新聞の取材が入っている。大会の予告と私の引退(40年間のこと)について聞いてくれる。ナンダナンダ今頃あわてて取材だなんて。私は天皇陛下様じゃない。「やめる」と聞いてあわてるなんて、もっと助けてほしいときがあったのにね。
しかし、あけぼの会は終わりではないので、それを上手に伝えなければならない。特に各県のリーダー達が非常に賢く、地域の乳がん患者のために役立つ活動を地味に、地道に、続けていて、会が全国あちこちに見事に根付いていることを伝えたい。私がみなを誇りに思っていることを声を大にして伝えたい。今のところ、肝心の東京に拠点がなくなりそうで、適任者を探している。東京からあけぼの会が消えるわけに行かないでしょう。「水曜相談室」だけは、私の自宅を使って続けてはどうか、と考えている。
大会スピーチ、悩んでいる。これを言おうと決めたことが一つ。今からバラシちゃうが、私が会の仕事で悩んで、イヤになって、逃げ出したかったとき、山梨の石和温泉病院に患者として入院させてもらったことがあった。たまたま、その病院の院長先生と対談をして、そのあとすぐにお願いした。石和温泉と聞いただけで「癒される」と決めた。病気ではないので、先生も困ったと思う。でも一応レントゲン検査とかして、入院患者になった。が、一晩か二晩でバカらしくなり、先生にまたお願いして退院させてもらって、家に帰った。
こういうエピソードって面白いでしょ?40年は長かったから、途中で疲れてもおかしくない。自慢にはならないが、やめたいと思ったことが何度もあったのだ。それなのに何故やめなかったか?自分で言うのはおこがましいが、私を必要としてくれた人が後を絶たなかったからと思う。たとえば2011年6月に死去した会員の富樫さんのことを偲ぶ。末期の闘病中は特に実の妹のようにいとしかった。何とかしてもっと生かしてあげたかった。
明るい未来の話をせねばならないのに、最近はこんな切ない思い出話ばかりしている。ごめん。アムロちゃんのように華やかに歌って踊って、ありがとうを絶叫!マネします。ワット   akebonok@d9.dion.ne.jp

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