●10/30 朝8:50に羽田を飛び立って、11:20には金浦空港、新幹線で東京~京都に行く時間で韓国入り。お迎えが来てなくて30分は待ったか、遂に感じよさそうな男性選んで、朴さんに電話をしてもらおうと(日本のケータイは使えない)ジェスチャーでお願いしてるところへ2人のヤングガール(以前会ったことがある)が到着。遅れた理由はガスの消し忘れか、気になり、家に戻って確認したのだとか、どこの国でもある話。「ケンチャナヨ」と三つ知ってる韓国語の内の一つを連発して、私はご機嫌。空港で、2時間後に着く大阪の「ぎんなんの会」の辻さんを待つ。キョンヒ(Kyung Hee・49歳)さん、言いたいことをスマホに打ち込むとすぐに日本語に早変わり、愉快な会話で待つ間も気にならなかった。
●タクシーで会場のJCCクリエイティブセンターへ。(あの安藤忠雄氏により2013年に完成)朴さんたちはこの時間からコーラスのリハーサル中、控え室にはおなじみキンパ(韓国海苔巻)や豆餅など、食べ物がわんさかあって、すぐに振る舞われる。結局、私は何のために呼ばれてきたのか、15周年というのは患者会の「ヴィーナス会」ではなく、「韓乳会」というコーラスグループの創立記念だったのだ。朴さんは面倒くさがりなので、いちいち教えてくれない。「ワットさん、来る?」だけ。滞在先のホテルも知らないので、子供たちに緊急連絡先を教えられないまま。
●5時から食事会、韓国料理を期待して、キンパも食べなかったのに、ハイカラ洋食一口串さし盛り合わせ、チト落胆、しかし、終始ニコニコ、笑みを振りまく。そこへ蘆(ノウ)先生到着、何年ぶりの再会に胸熱くなる。韓国トップの乳がん専門医、著名人の手術は全部請け負うとか、あとで舞台で見る美人ピアニストもその一人、彼女はこの催しのためにニューヨーク~駆け付けていた。そして、7時。いよいよ開幕、ホールは200人入りか?簡単なご挨拶のあと、歌姫が全部で19曲ものコーラスを披露、「楽譜ナシで歌うので覚えるのが大変だった」と朴さん。
●途中で2人の女性が代わる代わる詩の朗読、切ない曲が流れて、泣いてる人も。何を言ってるのかわからなくて助かった。こういうのは私だけでなく日本人は苦手と思う。国民性の違い。コーラスは朴さんが胸を張るだけあってプロ並み。国内だけでなく、ニューヨークのリンカーンセンターでも歌った歴史がある。メンバーは30人くらいか、乳がん患者で、手術した病院は問わない。衣装を揃えるのも交通費も全部自分持ち。続けられる人たち、裕福でないとできない。
●「韓乳会」は乳がん患者会から有志が集まってスタートしたコーラスグループ、 15年も続けてきたことは立派、しかし、患者会とは程遠い。ただ、こういう会が夕方7時から、大ホールで、有料で、催しをするのに、どうやって人を集めるのか、人が集まるのが不思議、日本では考えられない。何かが違うのだ。とにかく、何もかもがビックリで大いなる刺激を受けた韓国3日の旅、人びとはみな友好的で、誰も日韓関係悪化など口にしない。12月に来日予定の朴さんの歓迎パーティを今から計画している。(言い忘れました、最後の夜は、待望の韓国料理を思い切り、満喫しました) ワット takakowatt@gmail.com