2018年10月14日 有楽町 朝日ホール

akebono-018

●全国36の県から700人を超す来場で超満員、ホールの熱気がすごかった。来てくださった全国のみなさん、遠路はるばる、ありがとう!あなたのお顔が見えていましたよ。みなさんのやさしい気持ちが場内に充満していましたね。(ワット)

【以下、当日のスピーチより】

思えば、40年前、厳密には41年前、37歳で乳がんの手術を受け、しこりは小さく、ごく初期と思われていたのが、調べたら腋下リンパ節に2個の転移が判明、病気は2期で当然再発率も高くなることを知って、パニックになった。

情報は殆どなく、ただ単に再発すれば即、死だと思い込んだからだった。当時は医師は患者に何も説明しない、患者も医師に尋ねたりしないという暗黙の掟があり、すべてがあいまいの中で済まされていた。

だから今の患者に較べると、知らないゆえの不安が大きかった。ある意味、患者は知る必要はなく、医師にお任せで、楽な一面もあった。今はと言うと、患者は知りたくないでは済まされない、知って、選んで、決めるところまでしなければならない時代だ。


日本の乳がん患者が「自己決定」という世界的な流れの中に、ただぽんと落とされて、果たして対応できるのか?私は出来ないと思っていた。自分の意思で物事を決めるのに慣れてなかったからだ。自分の考えより、他の人はどうしているか、周りを見回して、みながしてるようにするのが安心、これが日本的な決め方だった。

それが驚いたことに日本女性が見事に変革に即応して見せた。私の悲観的観測は正しくなかった。必ずしも、すんなりスムースにではなかったかも知れない。が、この4、5年の間に誰もがこの流れに付いて行っているのだから、私は手放しで感服している。

●あけぼの会が成し遂げたこと

患者が自分で考え、自立し、医師ともほぼ対等に話ができる。患者が賢くなったのだ。そこに、あけぼの会が入り込んでいたのか?イエス、立派に入り込んでいた。

賢い患者になろうと口で言うのはたやすいこと、でもすぐにはそうなれない。少しずつ、時間をかけて来た。そこにあけぼの会が伴走したのだ。

全国のあけぼの会が今までのどれだけの患者の相談を受けたか。解決のアドバイスをあげて、励まして、辛抱強い応対をした。

電話で悩みと不安を聞いてあげて、真夜中になった、と山口の元支部長は言っていた。なかなか出来ることではない。私たちはみな、これをボランティアでやってきた。お金はどこからももらわない。なんと健気な人たちよ、かく言う私自身も40年間、そうだったんだけど。


●医師とも仲良く

医療の改革は医療側、患者側、どちらか片方がやっても意味がない。これは双方のものだからだ。

私たちは医師たちと非常に好ましい関係を築いてきた。これは会の財産だと思っている。どの県でも乳がん専門医と日ごろからコンタクトを取っていて、講演会においでいただいたり、新年会、温泉旅行などにもお付き合い願ったりしている。とにかく仲良しなのだ。

どんな折にも患者からの要望を伝えて、患者の真の思い、また苦しみを伝えている。一方通行ではない。ただ私たちはどんなときも医師に対する尊敬の念は忘れていない。これが伝わるから、医師も真剣に対応してくれる。この相関関係が素晴らしい。


私はこの10月で正式引退表明をする。でもあけぼの会は終わらない。脈々と今まで通り続く。あとを引き継いでくれる人がいて、安心している。

40年もがんばったのだから、もういいだろう。今までの延べ万を越すあけぼの会会員にアムロ流に「ありがとう!!」を絶叫しよう。

《会長 ワット隆子》

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