全国のみなさん、こんにちは、

いつも考えていたことを書きましたので、読んでみてください。感想をお待ちしています。

がんが平気で語られるようになった今でも、がんは怖がられ嫌がられている。なぜなら、がんは手術をすればそれで終わりという病気ではなく、手術してから始まると言ってもいい病気だからだ。いつ再発が起きるかわからない、起きたら、もう助からないのではないか、死ぬんじゃないか、の恐怖を、大なり小なり抱えて生きることになるから、怖がられる。

最近は医学の進歩で、再発=死ではなくなり、いろいろな治療法があるので、再発と共存できると言われ、実際に再発しても治療を受けながら、十年以上普通の生活を続けている人もいる。しかし一方で、治療の効果なく、悪くなって、死に至る人も減ってはいない。

【あけぼの会】は、最初、術後の再発の不安をみなで分かち合おう、という目的で始まった患者会だった。同じような不安を持つ人と語り合える場があることが、みなの救いになった。それが今は、数歩進んで、実際に再発した人たちの集まりも持たれるようになっている。みなが再発を受け止めて、どう対処するか、知恵を出し合う。深刻だが、有益な情報を積極的に得て、自分の治療に役立てようと努力している。現実から逃げない。これがすごい。

「再発」、がんのがんたるゆえんがここから始まる。体験者の話を聞くと、10人が10人とも、再発のショックは最初のがん告知より、ずっと大きかった、と言う。きつい治療による身体的苦痛だけではなく、精神的な苦痛が大きいはず。人の心中は目には見えないので、真の悲しみは伝わらない。街をゆく人々はみな健康で、死など微塵も考えずに歩いている。やりきれない孤独。寝ても覚めても、雑踏の中でも、夜一人で寝ていても、その孤独は付いて廻る。

また前田さんの梅です<br>心が洗われますねまた前田さんの梅です
心が洗われますね
こんな風に書くと今、治療中の人は強く反発するかも知れない。「私たちはそんなに悲壮ではない」と。でも、これは私が37歳でがんと知ったとき感じたことなのだ。45年も前のこと、がん=死と思われていた頃だった。突然降って来て、私の頭に覆いかぶさって離れなかった死への恐怖。まだ死にたくない、死ねない、私はまだ生きていたいのだ・・・

会の歴史の中で、再発して、きつい治療を受け続けても、力尽きて亡くなった会員を数見てきた。少しでも生きたいがためにじっと我慢をして耐えた苦痛は一体何だったのだろう。勘定が合わない、余りに不憫。因果な病が恨めしい。治療をやめたいが、やめたらどうなるか? 続ける方が数字上では有利と言われたので、治療を続けるか、それとも不利なリスクを承知で、治療をやめるか、究極の選択を迫られることになる。正解はあるのだろうか。

再発した人は同じ状態の人と話をして、情報交換をし、心を割って真の思いを語り合う。かなり心穏やかにあるのではないか。その意味で、再発患者だけの集まりを定期的に開いている県は、切実なニーズに応えているから立派だ。今度、東京で講演会を予定しているので、テーマを、これにしたいと考えている。結果論で極論だが、がんは、再発するからがんなので、何も起きなかったら、ただ手術を受けただけのことになる。勿論、してない人は、するかするかの心配をかかえて生きているので、ただの手術とはわけが違うのはわかっている。

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