2020年8月15日<br>2歳の長男と歯磨き中<br> 右は4か月の次男   2020年8月15日
2歳の長男と歯磨き中  右は4か月の次男

●妊娠中にしこり発見
 2020年3月、39歳の時に次男を妊娠中、出産の1か月位前で母乳マッサージをしているときに、右乳房の外側に小さなしこりを自覚。まさかとは思いましたが、出産も近かったので考えないようにしていました。妊婦健診のときに助産師に軽く相談したところ、しこりが出ることはある、気になるようなら専門の先生に相談しますかと聞かれましたが、様子を見ますと答えました。4月に無事に次男を出産、2歳のイヤイヤ期の長男と生まれたばかりの次男の育児がスタートし、しこりのことは完全に頭からなくなっていました。が、8月末に、新聞の投書欄に乳がんの触診の是非について書いてあり、ふと思い出しました。

●授乳、しこりが大きくなって、受診
 完全母乳だったため常におっぱいは張っていましたが、授乳しても、しこりは小さくなっていないことに気づき、むしろ大きくなっているような・・・急に不安になり、頭の中ががんのことでいっぱいになり、気が気でなりませんでした。ネットで「苫小牧 乳腺外科」と検索すると、比較的近くにある苫小牧消化器外科の乳腺外科を見つけました。水曜の午後しか乳腺外科は診察しておらず、札幌医大の先生が出張医で来ているとのことで、その日を待って受診することにしました。
 それまでの長かったこと!!次男はママ友に預けて9月2日に受診、エコーで、明らかなしこりが映し出され、しこりの大きさを計測している。私は医療従事者、その時に確信しました。針生検を勧められ、その場ですぐ行い、結果は1週間後とのことでした。

●結果発表までの間――やらなければいけないことを必死で
 それまでにやらなければならないこと、まずは、完全母乳の5か月の次男の一刻も早い断乳。あとは、託児先の確保、乳がんの診断や治療法などの勉強、と、その時を境にこれまでののんびりした育休生活は一変しました。
 急いで哺乳瓶を購入し、まずは哺乳瓶の乳首に慣らせるため絞った母乳を入れて飲ませましたが、拒否して泣くばかり。あきらめておっぱいを飲ませてその日は終了しました。その後は栄養士さんや保育士さんに相談に行って試してみますが、哺乳瓶を拒否、やむなくおっぱい。
 託児先の確保については、私も夫も実家が北海道外のため、今後の検査や治療で次男の預け先を確保するべく、ファミリーサポートセンターに次男を登録しました。また、図書館で大量の乳がんの本を借りて読み漁りました。

●右乳がん
 そしておっぱい卒業できないまま結果を聞きに行く9月9日(奇しくも8回目の結婚記念日!!)を迎え、次男に最後のおっぱいを与えたあと託児先に預けました。断乳は半ばあきらめかけていて、この苦労が無駄に終わることをほんの少し期待していましたが・・・、期待は裏切られ、診断結果は、右乳がんでした。
 その日のうちに造影剤注入してCT撮影し、札医大での手術の日程が決まり、それに必要な精密検査も翌日行うことが決まりました。もう造影剤が体内にあるため、何が何でもミルクを飲ませなければ死んでしまう。頭の中がこのことでいっぱいのまま、長男の保育園のお迎えに向かいました。0歳児クラスの保育士さんに、泣きながら、断乳のコツを教えてもらいました。哺乳瓶の乳首のメーカーを変えること、ミルクの温度を体温くらいにする、眠そうなときに飲ませる、など。

●やっと哺乳瓶でミルクを飲んでくれる
 長男を迎えに行ったその帰りに、違うメーカーの哺乳瓶と乳首、粉ミルクを購入。帰宅後、張ったおっぱいを飲ませるのを我慢して哺乳瓶のミルクを次男に飲ませるも、号泣。夫には診断結果をメールし、早く帰ってきてもらって飲ませるも、号泣。格闘を繰り返し、最後のおっぱいから10時間経ち、空腹の限界と泣き疲れて眠たそうになったためか、ようやく哺乳瓶でミルクをぐびぐび飲んでくれました!申し訳ない気持ちと、栄養源を確保できた安心で、涙があふれました。
 あとは、明日の札医大での精密検査、次男をどうするか。札幌の親友に頼ろうとするも、すぐに連絡はつかず。急きょ、神奈川在住の義母に翌朝一の便で飛んで来て、受診の付き添いと次男のお世話をしてくれるようにお願いしました。その日は子供たちが寝静まった後、夫と二人で泣きました。夫が泣くところを見たのはこれが初めてでした。最悪の事態を想像した恐怖と、今後たくさん迷惑をかけてしまうことへの申し訳ない気持ちでいっぱいでした。忘れられない結婚記念日になりました。

●全摘が必要でしょう
 翌日、札幌駅で母と落ち合い、病院まで向かうことにしました。母と会った瞬間、安心感と申し訳ない気持ちでまた泣いてしまいました。精密検査は丸一日かかり、検査の合間に3時間おきに義母とミルクを作り四苦八苦して次男に飲ませましたが、少しずつ飲む量も増えていきました。マンモグラフィーは、カチカチに張ったおっぱいを挟まれる激痛で具合が悪くなり、母乳が飛び出て床がびしょびしょになって恥ずかしかった割に、画像は真っ白で拍子抜けでした。
 造影剤を注入してのMRIも、撮影しながら母乳がしたたり落ちていました。そして診察。担当医の話では、しこりの範囲からは全摘が望ましいこと、術中のセンチネルリンパ節生検でリンパ節郭清を行うかどうかを決定する、とのこと。全摘に関しては、温存の希望があるかどうかも確認されましたが、もう役割は十分果たしたので、未練は全くありませんでした。入院の期間は1週間から10日。3週間後に病理結果が出るので、それによって今後の治療方針が決まるとのことでした。→続く

この続きはは5月20日に更新予定です。

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