乳がんとの出会い1996年 
再発・2007年、骨転移・2015年、肝転移・2016年 
現在、化学療法で治療中、一年を迎えます。
                                          
1996年9月4日
乳がん手術、この日から遡ること4週間前、2年ほどさぼっていた健康診断と婦人科検診をすることになり、婦人科のクリニックに出向いたのです。医師の説明は簡潔なもので、専門医を紹介してもらうことになりました。
 8月半ば予約した乳腺外科を専門とした病院で検査、診察を受けました。結果は「乳がんですね。ステージⅡです。手術予定と今後の治療を説明します」と。私はといえば、ひどく落ち込むこともなく、夫に報告しなくてはならないと、ぼんやりしていたような感じでした。
まだ34歳、4歳の一人娘の育児に追われる毎日で、健康診断をさぼっていたのも、これといった体調不良もなく日常を過ごしていたからでした。あの時、同じ社宅の奥さんに誘われてなかったら、がんは発見できなかったかもしれません。

23日の入院、楽観的だった
乳がんと告知されてからの私は、入院までの3週間はただ慌ただしい日々でした。本来なら、乳がんのことを自分なりに勉強することや、乳房を切除することに心の葛藤があったはずなのに、医学書を読むこともなく、まずは娘をどちらの実家に預けるか、留守中の家のことで夫に頼むこと、幼稚園への休園届、入院の支度、夏休み中の家族旅行の強行と、ちょっとしたハイな状態でした。
手術2日前にバタバタと入院、術前検査。入院は23日間でした。20年前は乳がんで入院すると現在の2倍から3倍の日数がかかりました。手術方法も殆どがハルステッド、全摘でしたが、丁度、乳房温存術が台頭し始めた頃でしたので、私は温存手術(部分切除+放射線照射)をしてもらいました。女性のシンボルと言われる乳房、切除は寂しさを感じましたが、これで、がんとは別離できると信じていました。何の知識もなかった私は楽観的に入院生活を送ったのでした。

すべてが順調だった1年間
 術後、傷の痛みはあったものの看護師さん達の手厚い看護と厳しいリハビリのおかげで、左脇リンパ節の切除後も腕が上がる状態になり退院しました。乳房は3分の2くらいになり、バランス悪いと思いつつも腫瘍をとったことに喜びを感じていました。
 退院後は放射線治療にがんセンターに通院開始、がんの本当の治療の始まりだったのです。照射部分は軽度のやけどのように皮膚が赤らみ、痛みは少ないのですが、しばらくの間は慣れないものでした。薬は経口剤のホルモン療法で、10年は摂取するように告げられて、長い付き合いが始まりました。

 私は夫の転勤により5か所の病院、8名の医師にお世話になってきました。最初の主治医の指示に従い、転居を繰り返しながら4か所の病院で処方された薬を摂取し(ホルモン療法)、「10年経てば完治する」と信じて、定期的な検査、診察を受けてきました。その10年間、再発も転移もなく平和な日常で、ともすると、がんを忘れてしまうくらいでした。そして、いよいよ、その時が来たのです。当時の担当医に「薬はここで終了、定期的にマンモグラフィーや診察を受けること」と言われて、これで克服したと確信しました。     (次回 11月1日につづく)

バナー広告

コム・クエスト

共同文化社