「転移再発乳がんと共に生きる!夢と希望をもって」                    

9年前に右乳房を全摘した私は、術後補助化学療法を受け、そ
の後ホルモン療法を続けてきましたが、4年後には、胸骨、肋骨、
鎖骨上リンパ節、そして肝臓にまで転移が広がってしまいました。

「元気そうねぇ!」人によく言われます。“転移再発”という重い四文字を背負い、辛い副作用に苦しみながらも、前向きに日々の生活を送っている私が元気そうに見える…
「常にポジティブで自然に」が、がん患者である私のモットーなので、そう見えるのなら万々歳!!今日は、そんな私を支えてくれているものについてお話したいと思います。

●あけぼの会との出会い
肝臓への転移告知を受け、治療を始めた頃の私は、精一杯明るく振る舞い、“がん”という手強い敵に真正面から必死に挑んでいたように思います。やがてその元気な振りにも限界が訪れ、たまらない不安や寂しさが募るようになってきました。そんなある日、〈あけぼの群馬〉主催の「転移再発治療中の人の集まり」という記事を新聞で見つけ、藁にもすがる思いで参加しました。「私たちの仲間になってくれてありがとう!」と、温かい笑顔と大きな心で、苦しむ私をしっかり受けとめてくださったのは、会長の本田さんでした。早いもので、あの出会いからもう5年。悩み、苦しみ、そして喜びを分かち合いながら、これからもずっと、あけぼの会の仲間たちと一緒に歩んでいけたらいいなと思います。

●目標、そして夢を持つこと
再発治療を始める時、私が強く心に決めたのは『目標、そして夢をもつこと』でした。
まず1つめに掲げた目標は“職場復帰”。当時私は小学校の教員でした。転移再発の告知を受けた後、治療に専念するため病気休暇を取っていた私は、「今まで以上にがんと真剣に向き合っていかなくてはならない」「週一回の治療を続けながら、全力で子どもたちと向き合うことができるだろうか?」…などと、悩みに悩んだ末、退職を決意したのです。しかし「病気休暇のまま絶対に終わらせたくない、どうしても大好きな学校現場で大好きな子どもたちと一緒に、自分の力で教員人生に幕を下ろしたい」と、私は職場復帰を強く望むようになりました。教員生活ちょうど30年の節目に当たる年でした。
主治医も看護師さんも薬剤師さんも、私の夢の後押しをしっかりしてくださり、私がなるべく長い時間子どもたちと一緒にいられるようにと、積極的に治療時間の調整をしてくださいました。そのお陰で職場復帰できた2ヶ月間、抗がん剤治療を続けていたにもかかわらず、大きな副作用もほとんどなく、子どもたちからもらうパワーの大きさに改めて気付かされた、とても幸せな日々でした。
涙、涙で子どもたちとお別れをし、学校現場を去った私が2つめに掲げた目標は、カナダ・プリンスエドワード島への旅。私は小説「赤毛のアン」の大ファンで、その舞台である“世界で一番美しい島”と言われているプリンスエドワード島を旅することが、昔からの夢でした。数年前、同僚が乳がんの再発から半年で亡くなる…という寂しい別れを経験していた私は「前向きに」という強い気持ちを持っていた反面、「私の命もあと半年…」心のどこかでそう感じていたのも事実で、命ある間に、何としてでもプリンスエドワード島への旅を実現させたい!そんな思いをどんどん膨らませていきました。
「必ず叶うよ!叶えようよ!」と、私の背中を強く押してくださったのは看護師のIさん。主治医も、私がベストな状態で出発できるようにと、治療計画を立て直し、緊急時の連絡先とそれまでの治療経過を英訳したものを、お守り代わりに持たせてくださいました。
プリンスエドワード島…それは、私が思い描いていた通りのとても素敵な島でした。牧歌的な風景が広がる島の大自然に抱かれながら、アンに思いを馳せ、ゆったりとした時間の流れを楽しんでいたら、私を苦しめている私の体の中の悪い細胞が、すべてサ~ッと消え去っていくような、そんな心地良い感覚に包まれていきました。
その大きな夢が実現してしまった今、更に大きな夢が…それは英会話をマスターすること、そして再びあの憧れの島を訪れること。私にとっての治療は、その夢を実現させるために必要不可欠なこと…そう思えば、辛い治療も副作用もなんとかうまくかわしていけそう、そんな気がしてくるのです。

●「心のノート」
肝転移の告知を受けた翌日に書き始めたのが『心のノート』。自分の思い、人からのメッセージ、本や新聞で見つけた文章など、心に響いたものを書き留めておくノートです。
▲過去を悔やまず、現在に不満を持たず、未来を不安に思わず、1日1日を大切に生きる。 明るい希望を持ち、今日も生きられたことへの感謝の心を忘れずに。(自分の決意)
▲ゆきえ先生、びょうきとたたかってね。みんな、まもっているよ、ゆきえ先生のこと。どこか、いたくないですか。きもちわるくないですか。かみのけがなくなっても、ゆきえ先生が大すきです。(当時担任していた1年生の子どもからの手紙)
▲同じ病で闘う同士は、自分の頑張りが仲間へのエールだと思って頑張っています。先生が苦しいのもわかっていますが、頑張ってほしいと願います。笑顔で会える日が来ることを祈っています。(がんと闘う、かつての教え子のお母さんからのメール)  …など

●がんとの共存 …夢と希望をもって…
転移再発の告知を受けてから、早いものでもう5年、命を繋ぐための治療はこれからもエンドレスで続いていきますが、しなやかに、ゆったりとした気持ちで、がんとうまく共存していくつもりです。どんなに苦しい時も夢や希望を持ち続け、自分に与えられた人生の一瞬一瞬を愛おしみながら、自分らしくしっかり歩んでいこうと思います。
今、県の保育アドバイザーとして、子育てに悩む若いお母さんに、子育ての楽しさを伝えたり、“命”の大切さを、学生さんたちに伝えたり、転移再発乳がん患者である今の私にできること、今の私にしかできないことを模索しながら、微力ですが、社会のお役に立てることにも積極的にチャレンジしています。(2016年6月20日記)

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