私が夫の異変に気づいたのは厳密に言うと昨年の8月、東京の4階建てマンションの階段を下りる後ろ姿を見たときだった。エレベーターがないので、階段を4階から歩いて下りるのだが、その足取りが左右交互リズミカルにいかないで、ちぐはぐで頼りない。娘にはすぐ電話でそれを伝えたのだったが、お互いそれきりにしてしまっていた。

 そして、3ヵ月後の11月1日。私は中外製薬の招きでパリでの乳がん患者代表国際会議に出席することになったので、提案して、ワット家一同パリ集合することになった。夫はイギリス、息子はサンフランシスコ、娘はバンコック、そして私は日本からというまさにこれもインターナショナルミーティング。そのとき、夫からのメールで自分は杖を使って歩いているが驚かないように、という軽い警告がそれぞれに入った。それでも誰も深くは気にとめず、年だから杖つくんでしょ、くらいで流していた。

 しかし、会って、見て、言葉には出さなかったが、ずいぶんのやつれように私は愕然とした。この人、病気だわ、と直感、すぐに子供たちにもそう伝えた。左肩の肉が落ちてなで肩になって、杖をつくだけでなく、びっこ引きながら歩いている。そして、ホテルから地下鉄駅まで行くワゴン車に乗るとき、夫は最後に乗車するので、誰も外から助けることができずにいると、息子にどっちの足を先に入れるんだった、と聞いている。シートにお尻を降ろしたまま、外に残った両足のどっちをどう持ち上げて中に入れればよいのかがわからない。この人、遂に脳がいかれたのだ、軽い脳梗塞に違いない、何でそのくらいのことパリの医者はわからないのよ、と私はいつもの調子で叱責している。が、それまでに検査を何回か受けていたので、脳には異常はないと言われたと彼は主張する。じゃあ、なんなのよ。

 結局、その後もパリのクリニックには息子と私も付き合って2回ほど行ったのだが、電気ショック検査なんかした後で、善良そうなそのフレンチドクターはケンブリッジの教授に問い合わせているので、返事が届いたら知らせるというだけだった。面倒なことは重なるもので、孫のリラがパリ到着二日目で水疱瘡になってしまった。私だったらどうしてよいかわからないところだが、娘はさっさと医者に連れていき、薬をもらってきた。それでも熱が出るとぐずるので、病気のことを忘れて鬼ばあさんの私はまた怒って、うるさいわね、この子何とかしてよ、と叫んでいた。

 初冬のパリを存分楽しむために集合したはずだったのに、五人の内、二人が病気では病人看病のために集まったようなもの。おまけに、地球のあちこちからの集合なので、時差がそれぞれ違って、朝ごはんを一緒に食べようにも息子は起きられない、夜の団欒時間になると私は目を開けていられなくて座ったまま寝てしまう、といった光景。それでもみんなでベルサイユ宮殿に行き、広大な庭園を歩いて、ランチを食べて、あれはよかった。もちろん、夫は杖をついてみなに遅れまいと必死に歩いていたので、今回想すればかわいそうなことをしました。

 息子と私はオルセーへ行って、もともと駅舎だったという建物の天井の高さに私はすっかり気に入って、ニューヨークのグランドセントラルを思い出して一人懐かしんでいた。このときも夫を誘ったのだが、二人で行ってきて、といわれて、そうね、さっさと歩けないから疲れるかも、なんて軽く置いてけぼりにした私。

 もうみんなのパリは望めないのかもしれない。しかし、私の提案で(中外製薬さんのおかげで)集まって、何よりよかったのは、娘も息子も父親の様子がただならぬことに気づいて、絶対にちゃんと見てもらわなければダメよ、と説得し、彼もそれを承知したことだった。