大昔の恋敵メリーには夫がホスピスに入っているとき紹介されて始めて会った。どうして彼女ではなく私を結婚相手に選んだのだろう。当時ひたすら、ひたむきに彼と付き合っていた私は今、彼女を観察しながらその疑問を楽しんでいる。答えは夫に聞いてみないとわからない。彼女は本国に戻ってから、3人の子連れ紳士と結婚して、自分の子供も2人もうけたが、夫に先立たれ、計5人の子供達が独立した今、ロンドンの高級住宅地で一人優雅に暮らしている。夫と一緒になっていたら、あんな住まいは買ってもらえなかっただろうから、過ぎてみれば彼女の勝ち。男は金だ。

 人はどんな瞬間にこの人と結婚しよう、と決断するのだろう。私の場合、条件は私より頑固な人、と決めていた。なぜなら、私は日本水準に照らすと自己主張が強過ぎるので、並みの善良日本男児だと簡単に私の言うなりになって、世にいう‘かかあ天下’になってしまう。人聞きも悪いし、見た目がよくない。私の言うことを聞いてくれないと腹が立つが、かといって、何でも聞いてくれる人もつまらない。刺激が足りない。だから、己の考えを私の圧力なんかで曲げない、意志強固の人で、気の毒だが、彼は条件に合っていた。

 結婚は双方の親に猛反対された。彼の母親(父親は4歳の時に他界)は息子がまさか日本娘を伴侶に選ぶなんて夢にも想像しなかったので、怒り狂った。戦時中、日本軍がシンガポールでイギリス人捕虜を虐待したことを根に持って、私に恨みをぶつけ、国敵扱いする。一方の佐渡の両親はガイジンと聞いただけで、毛嫌いして、完全に無視。それでもかまわず引き合わすために家に連れ帰ると、困惑されたばかりか、近所の人が訪ねてくると、彼を奥の部屋に隠して障子をピシャッと閉めて見せないようにする始末。

 反対は十分予測していたので、二人ともあまり気にかけず、結婚式は彼の親友が立会人で、披露宴は主に彼の会社関係の人、私のスチュワーデス時代の仲間が集まってくれて無事敢行。手作りパーティだったので、私がウェディングドレスのまま受付をして、彼はバックグランドミュージック係をやって、忙しかった。世にいう結婚式場を借り、招待客からお祝いを万単位でもらって、ドライアイスで煙を焚いて親に感謝状を読み上げ花束贈呈する、こんな決まりきった結婚式が好きな日本人。独創性がどこにもない。人と同じようにしないと安心できない。千万人行けど我行かず、の軸足がないのだ。

 恋敵メリーはかなりのインテリ。遠い昔、日本で、恋人を奪われたことなど済んだこととして話題に出さない。介護で疲れていた私を車で迎えに来て自宅でランチをご馳走してくれた。キッチンに座って眺めるに、イギリス人は上着を着たまま、靴をはいたまま、オーブンから流し台まで豪快に闊歩して、料理を仕上げる。私のように、裸足で、エプロンして、3歩歩けば壁にぶち当たる小っちゃな台所で、絹ごし豆腐を手のひらでちまちま切るような女中スタイルではなく、ダイナミックなのだ。何でもダイナミックのほうがいい。

 夫はひょっとしてこの人と結ばれて伝統的イギリス人ライフを全っとうしたほうが幸せだったのではなかろうか。元には戻せない歳月。そして、あるのは限られた月日。