今日は23日、日本は秋分の日、でも土曜の祝日ではあまり得した気分になれないでしょ。よかった。だって同じ日本人の私は日曜休日なしの重労働の身、しかも帰国があと5日と迫っていて、また、でかいスーツケースに掴まって、よろよろとエアーポート徘徊をするんですから。今回は「後ろ髪引かれる思い」が今から漂っていて、息苦しい。あのジャッキーさんが、日本往復は大変でしょ、と聞くから、でも日本に帰れば楽になるから、と答えたら、そうかしら、離れたほうが気になってもっと疲れるはず、と自分の母親の最期に、日本で仕事をしていてお国に帰れなくて死に目に会えなかった経験を話してくれた。

 私の出発は27日だが、その日ニューヨークからドクターの友人が訪ねてくることになっていて、夫は彼に安楽死の相談を持ちかけることに決めている。ドクターの考えは、わざわざ外国まで行かずとも、ここでも永眠は可能というもので、私たちは既に聞き及んでいる。もし、夫の更なる希望で間接的安楽死を実行するとしたら、私もそれに合わせてこの国にいることは可能だが、そうでなければ、タイミングが合うかどうか難しい。

 今度の戻りは10月23日、しかし、夫は私がいると安心してうれしい様子、それと、手も足りないので、韓国と神戸の先約をキャンセルしてトンボ帰りするかも知れない。あけぼの会の用も9日の大会が終われば一応、年間イベントは終えて、あとはどうとでもなる。いよいよの正念場か。

 夫の筋力は完全に失せてしまった。1秒も立っているのは無理、考えてみれば、2月からの車椅子生活で足の筋力は使っていないのだから、鈍ってもおかしくない。左手左指は固くなっていて、半握りの形のまま蝋人形の手のようだ。それでもまだ右手でパソコンのキーはポツンポツンと叩けるので、昨日はパソコンのコレクションからシャンソンのCDを4枚も作って、ジャッキーさんにお土産に渡した。マジックペンで曲名を自分で書くようにジェスチャーすると、彼女は曲名と日にちとAndrewさんからと書いて「このCDは日本に持って行って、クラスで(教材に)使って大事にしますからね」と喜んでくれた。 
  
 フランスに帰る前にアデユーを言いにちょこっと立ち寄ってくれていた彼女は「もう一度必ず会えると信じていますよ」と何度も言って、「タカコサントーキョーデアイマショウネ」と手を振って去っていった。この人のやさしさには勝てない。仏を見る思いがした。今も涙があふれてくる。ああいう人に私もなりたかったのだが、まだ道半分。

 このシリーズも7月に日本に帰って1ヶ月以上お休みしたので、私の体調を心配してくれた人が約一名いた。ニュースレターと大会プログラム作りに完全集中していたのと、単行本の校正に思考力を費やして、頭の切り替えができなかったからだった。本は『乳がん患者に贈る愛と勇気の玉手箱』という題で10月初旬にはお目見えする予定だが、最終校正を終えた今、疲れていたのによく踏ん張った、と自分のことながら感心している。

 それにしても日本の読者さん、私がそっちにいないとメールまでも届かないかのように、何も反応してくれなくなりましたね。憐れな日本の年寄りに恵みのメールをくれたまへ。